オニヤンマ

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「オニヤンマ」が、空を飛んでいる写真に、子どもの頃が思い出されます。目玉がギョロリと大きくて、格好良さに惹かれて、よく追いかけて、時には捕まえることができました。初夏には、もう飛んでいるのですね。その下は「オオルリソウ」、そして「セッコク」、昨夕、配信してくださった「HP 里山を歩こう」にありました。

これらの写真は、高知県安芸市で撮影されたとのことです。ここは、よくプロ野球の球団が、春のキャンプをする町だったでしょうか。先日アップした記事の中に、鹿持雅澄を取り上げたのですが、この方が10ヶ月、単身赴任し、愛妻のために歌を詠んだ町でした。

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奮発



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これまで。ちょっと《奮発》したことがありました。それは、《テニススクール》で、初歩からテニスをトレーニングすることでした。それまで、兄の友人たちが、ゴルフをしない代わりに、テニスをしながら、《二重の打ち合わせ》をするという交わりを、春秋に泊りがけでもっていたのです。それに誘われて、何度か参加していたのですが、<素人テニス>ではいかんともし難かったのです。それならば、『基礎から学んでみよう!』の《奮発》でした。

街のテニススクールに、小学生の頃に、私たちの家に出入りしていたお嬢さんが、全日本級のテニスプレーヤーになっていて、その時には、競技から引退して、コーチをしていたのです。このコーチの他にも、優秀な競技歴を持つコーチがいて、上手なレッスンで基礎を教えてもらったのです。そのせいで、好いボール返しができる様になって、けっこう球筋も好くなって来ていました。

ところが、2年にわたって、両足のアキレス腱を切る怪我をして、2年目に、そのスクールをやめてしまったのです。あのまま続けていたら、<おじさん大会>にも出れたかなと思えたほどでしたが、断念せざるを得ませんでした。でも、勝つための運動をしてきた私が、楽しんでするテニスをやり始めて、本当に楽しかったのです。

時には、ネットすれすれ、ラインすれすれに打てる様になって来ていたのです。クラスメートは、おばさんたちがほとんどでしたが、それが楽しかったわけではありません。上手にボールを打てた時の《音》が爽快だったのです。アメリカンフットボールでも野球でも、楽しんでやれたら、最高なのですが、<勝ちに行く>と、楽しさが半減してしまうのです。

今日日、反則をし、審判を殴打し、賭け試合に誘惑されてしまい、結局は、しなかった方が良かった、と言うことになってしまうのです。一緒にやっていた頃に、上のクラスに《七十代》の”格好いいおじいさん“がいました。私は四十代の後半でしたが。親が楽しんでいたので、子どもたちに伝染してしまった様で、みんなし始めてしまいました。

このテニスのきっかけは、『どんな運動がいいかな?』と弟に聞いたところ、彼の推薦してくれたのが《テニス》でした。今でも、きちんとウオーミングアップをすれば、できるかも知れません。『年齢に応じてできる!』と言うのが弟の弁でした。<壁打ち>をしたくて、見つけるのですが、どこにもないのです。歩いて20分ほどのところに、運動場の隅に、コートが4面あります。いつも2面ほど空いているのです。相手がいなくてはできない”テニスしたい爺“です。

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