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父は、中部山岳の山中で、鉱石を採掘する仕事を、戦時中にしていた関係で、わが家には、木こりの方が射止めたのでしょう、加工された「鹿の角」の実物が、置物としてありました。良い物を着て、履いて、使っていた父ですが、掛軸とか宝石とか刀剣など、宝物を一切持ちませんでした。きっと、《四人の息子》こそが、父の一番大切にしていたものなのでしょう。いえ、母が、父の一番の助け手だったのでしょう。
床の間に、父の掘った石英の「水晶」と、それほど由緒のある様には見えない掛軸と、この「鹿の角」が置いてありました。ところが、人に物を上げるのが好きな父でしたから、いつの間にか、それらが家からなくなっていました。それ以降、ずいぶん殺風景な床の間になってしまっていました。
この写真は、中部山岳の八ヶ岳で撮影された、「ニホンカモシカ」です(☞「里山を歩こう」から)。中央線を、松本に向かって、甲府を過ぎたあたりから、眼前に眺められる”麗峰・八ヶ岳“、実に泰然として圧倒させられるのですが、この山の東側のいくつか越えた沢で生まれた私は、そこに鹿が多く生息してるのを知っていました。
父の仕事で使っていた「索道(原石を山奥からトラック基地に運ぶケーブルカーの事です)」で、熊や鹿が、よく運ばれて来て、策動の巨大なモータの脇に寝かせてあるのを見たからです。きっと、鹿や熊や雉(きじ)などの肉を、鍋にして食べて、私たち四人兄弟は育ったのだと思います。
鹿の角には、よく刀剣が置かれているのですが、わが家にはありませんでした。気の荒い男の子だらけの家に、そう言ったものを置かなかったのは、父の配慮だったのでしょうか。「ニホンカモシカ」って、こんな可愛い目をしているのですね。この写真に、『眼に森と青空が写っていました!』と、コメントが、一言添えてありました。
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