夏至

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今日、6月21日の私たちの住む街の「日の出」は5時14分、「日の入り」は18時54分で、「夏至(げし)」です。日中時間が一番長い日なのですが、正確には、ちょっとずれているのだそうですが。今日も雷雨です。

昨日は、豪雨で、道路が水没し、車が動かず、夕方7時に、私たちを迎えに来てくださる友人は、大学で会議を終えて、ここに寄ることもできず、家に直接帰ったのは23時過ぎだったそうです。この様なことは、滞華12年の間、初めてのことです。ここも異常気象に見舞われています。
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今日の「夏至」は、春分の日、秋分の日、冬至の様に特別な食べ物や行事がないのだそうです。田植えなどの農繁期ですから、それどころではないからでしょうか。それでも私の母の故郷の島根県では、小麦の「焼き餅」を、田植えを手伝ってくださる人々に振る舞う風習があるそうです。

また強い雨が降り出しています。明日も雨の予報だそうです。わが家は、市内を旧新に二分する大河の近くに位置しています。でも二階ですので、水害は大丈夫と思っていますが。それでも、「備え」を怠ってはいけませんね。

(北海道の洞爺湖の「日の出」、この時期の岡山県新見市草間台地に咲く「イチヤクソウ」です☞HP「里山を歩こう」から)

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程好い距離



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ずいぶん昔になりますが、東北なまりで、訥々(とつとつ)と話される「詩人」のインタビューを聞いたことがあります。青森県出身で、「天井桟敷」という劇団を作って、若い世代に、とても人気のあった、「寺山修司」です。残念ながら、40歳前半で病気で亡くなられています。

そのインタビューの中で、この方が、<近親憎悪>について話していたのです。”大辞林“には、「血縁的距離が極めて近い関係にある者どうし、また、性格の似通った者どうしが憎み合うこと。」と解説されています。日本の犯罪は、40%以上の犯罪が、この近親間で起こっている、世界でも特異な犯罪傾向がある様です(子殺し、親殺しなどです)。<家>、<本家と分家>、<地主と小作>の関係が近過ぎるからでしょうか。

中根千枝(社会人類学者)が著した「タテ社会の人間関係」と言う本は、日本の家族制度について触れていて、興味深く読みました。「柵(しがらみ)」や「制約(掟と言った方が好いでしょうか)」や「絆(きずな)」が、家族の間で強過ぎるのでしょうか。親は子に期待過剰になり、子は親を利用し、依存する傾向が強いのです。上手く均衡が保たれている間は好いのですが、一旦、関係が破綻すると、<対決>してしまう。そこに犯罪が起きやすい精神土壌があるのでしょう。

昔の農村だけではなく、現代の都会や会社や倶楽部にも、そう言った、近い者同士が、《程好い距離》を保てなくて、近づき過ぎたり、遠く離れ過ぎてしまう問題があります。出身地や出身校や趣味や倶楽部などで派閥を作ってしまうのです。あんなに仲が好かったのに、何時の間にか、疎遠になってしまうか、憎しみ合ってしまう友人、同僚、恋人同士が多くいるのを見て来ました。

田舎で育った方は、それが嫌で、家と親元から、都会に出て、解放されるのですが、この“コンクリート砂漠“で生活していくうちに、孤独になって行くのです。 都会も形を変えた束縛や不協和音があるのに気付くからです。それで、『都会は嫌だ!』と、Uターンをしてしまい、元の煩雑な関係に舞い戻る人も多い様です。

祖父母を、私は知らないのです。母の養母には、小学校の時に出掛けて、叱られた記憶があり、父の養母の葬儀に、父のお供で出たことがあるだけでした。だからオジやオバも従兄弟、従姉妹も、両親共付き合わなかったので、訪ねて行くことも、来ることも全くなかったのです。これも、日本の社会の中では、逆に珍しいかも知れません。

ですから「お年玉」を、親戚の人にもらった記憶もないほど、疎遠だったので、「村の掟」とか「親族の柵」などに縛られたこともありません。中上健次の小説の題材が、ほとんど、家族間の軋轢と衝突だけの様で、その様な世界でなく育ったのは好かったと思っています。「甘え」とか「恥」にも、寄り掛かったり、はなれたりしないで育ったからです。家内が羨むほど、兄弟との関係が好いのです。その上、血の繋がらない兄弟や姉妹がいて、助け合うことができています。

ここ中国も、けっこう故郷(老家laojia)の両親とか、近くに住む親族の冠婚葬祭、日常の付き合いが大変だと言いますが、その一方で、その煩わしさを喜んでいる様にも見受けられます。東アジアの国の私たちは、同じ様な背景に生まれ、育ち、今も生活しているのでしょう。寺山修司は、「家出のすすめ」を著して、家出を勧めています(この中で<自立のすすめ>にも言及しています)。犯罪を犯す前に、そうした方が好いのかも知れません。最善なのは、《程よい距離》で関わることでしょう。

(青森と言えば林檎、その花です)

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解く

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時々、「小包」が、わが家に来ます。日本の味や物に、未練を覚えているのを感じて、中身よりも、送料の方が高い「小包」を送ってくれるのです。配送郵便局に小包が届くと、「配送受け取り伝票」が、この小区の事務室に送られてきます。そこから伝票が届いた旨、電話連絡があって、それを取りに行くのです。日を改めて、伝票に「旅券番号」と「名前」を記入して、旅券と一緒に伝票を手に、そしてカートを引いて、バスに乗って、郵便局に出掛けます。

郵便局の事務の方に、伝票と身分証明に旅券を渡すと、奥に行って、届いた小包を渡してくれるのです。それをカートに、ゴムベルトで固定して、それを引いてバス停に行き、帰宅する、これをするわけです。吉野弘に、一編の詩があります。

「ほどく」

小包みの紐の結び目をほぐしながら
おもってみる
― 結ぶときより、ほぐすとき
すこしの辛抱が要るようだと

人と人との愛欲の
日々に連ねる熱い結び目も
冷めてからあと、ほぐさねばならないとき
多くのつらい時を費やすように

紐であれ、愛欲であれ、結ぶときは
「結ぶ」とも気づかぬのではないか
ほぐすときになって、はじめて
結んだことに気付くのではないか

だから、別れる二人は、それぞれに
記憶の中の、入りくんだ縺れに手を当て
結び目のどれもが思いのほか固いのを
涙もなしに、なつかしむのではないか

互いのきづなを
あとで断つことになろうなどとは
万に一つも考えていなかった日の幸福の結び目
― その確かな証拠を見つけでもしたように

小包みの紐の結び目って
どうしてこうも固いんだろう、などと
呟きながらほぐした日もあったのを
寒々と、思い出したりして

作者の時代や、私たちが子どもの頃には、小包は、紐をかけて結んでありました。解(ほど)かなければならなかったのです。小包の紐も、情の糸も、結び目が強ければ強いほど、解くのが難儀です。そういう情が絡まったり、解けなくなったりの経験のほとんどない私には、問題は、小包でした。

現在では、布とかクラフト紙とかプラスチックの粘着テープが、梱包用にあって、それで封をする様になっています。ですから、「解く(ほどく)」ことは、ほとんどしなくなりました。ただ最近は、「端午節」で頂いた「粽」があっって、それがタコ糸や笹製のヒモで結わいてありますから、それを「ほどく」ことがあります。

結び目が固過ぎて、解けないと、最後の手段は、「ハサミ」を使って、切ってしまうことです。父のところにも、よく小包がありました。几帳面(きちょうめん)」で、無駄をしない父は、その紐を再利用するために、忍耐強く解くのです。その紐を、左手の親指と小指に、交互に<8の字>にまとめていました。それでも、情の固い結び目で苦労している方から、何度も相談されたことがありました。 解くのか結ぶのか、痴話喧嘩や夫婦喧嘩は、ただただ大変でした。

(以前に送られてきた小包を解いた後のの中身です)

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