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時々、「小包」が、わが家に来ます。日本の味や物に、未練を覚えているのを感じて、中身よりも、送料の方が高い「小包」を送ってくれるのです。配送郵便局に小包が届くと、「配送受け取り伝票」が、この小区の事務室に送られてきます。そこから伝票が届いた旨、電話連絡があって、それを取りに行くのです。日を改めて、伝票に「旅券番号」と「名前」を記入して、旅券と一緒に伝票を手に、そしてカートを引いて、バスに乗って、郵便局に出掛けます。
郵便局の事務の方に、伝票と身分証明に旅券を渡すと、奥に行って、届いた小包を渡してくれるのです。それをカートに、ゴムベルトで固定して、それを引いてバス停に行き、帰宅する、これをするわけです。吉野弘に、一編の詩があります。
「ほどく」
小包みの紐の結び目をほぐしながら
おもってみる
― 結ぶときより、ほぐすとき
すこしの辛抱が要るようだと
人と人との愛欲の
日々に連ねる熱い結び目も
冷めてからあと、ほぐさねばならないとき
多くのつらい時を費やすように
紐であれ、愛欲であれ、結ぶときは
「結ぶ」とも気づかぬのではないか
ほぐすときになって、はじめて
結んだことに気付くのではないか
だから、別れる二人は、それぞれに
記憶の中の、入りくんだ縺れに手を当て
結び目のどれもが思いのほか固いのを
涙もなしに、なつかしむのではないか
互いのきづなを
あとで断つことになろうなどとは
万に一つも考えていなかった日の幸福の結び目
― その確かな証拠を見つけでもしたように
小包みの紐の結び目って
どうしてこうも固いんだろう、などと
呟きながらほぐした日もあったのを
寒々と、思い出したりして
作者の時代や、私たちが子どもの頃には、小包は、紐をかけて結んでありました。解(ほど)かなければならなかったのです。小包の紐も、情の糸も、結び目が強ければ強いほど、解くのが難儀です。そういう情が絡まったり、解けなくなったりの経験のほとんどない私には、問題は、小包でした。
現在では、布とかクラフト紙とかプラスチックの粘着テープが、梱包用にあって、それで封をする様になっています。ですから、「解く(ほどく)」ことは、ほとんどしなくなりました。ただ最近は、「端午節」で頂いた「粽」があっって、それがタコ糸や笹製のヒモで結わいてありますから、それを「ほどく」ことがあります。
結び目が固過ぎて、解けないと、最後の手段は、「ハサミ」を使って、切ってしまうことです。父のところにも、よく小包がありました。几帳面(きちょうめん)」で、無駄をしない父は、その紐を再利用するために、忍耐強く解くのです。その紐を、左手の親指と小指に、交互に<8の字>にまとめていました。それでも、情の固い結び目で苦労している方から、何度も相談されたことがありました。 解くのか結ぶのか、痴話喧嘩や夫婦喧嘩は、ただただ大変でした。
(以前に送られてきた小包を解いた後のの中身です)
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