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ずいぶん昔になりますが、東北なまりで、訥々(とつとつ)と話される「詩人」のインタビューを聞いたことがあります。青森県出身で、「天井桟敷」という劇団を作って、若い世代に、とても人気のあった、「寺山修司」です。残念ながら、40歳前半で病気で亡くなられています。
そのインタビューの中で、この方が、<近親憎悪>について話していたのです。”大辞林“には、「血縁的距離が極めて近い関係にある者どうし、また、性格の似通った者どうしが憎み合うこと。」と解説されています。日本の犯罪は、40%以上の犯罪が、この近親間で起こっている、世界でも特異な犯罪傾向がある様です(子殺し、親殺しなどです)。<家>、<本家と分家>、<地主と小作>の関係が近過ぎるからでしょうか。
中根千枝(社会人類学者)が著した「タテ社会の人間関係」と言う本は、日本の家族制度について触れていて、興味深く読みました。「柵(しがらみ)」や「制約(掟と言った方が好いでしょうか)」や「絆(きずな)」が、家族の間で強過ぎるのでしょうか。親は子に期待過剰になり、子は親を利用し、依存する傾向が強いのです。上手く均衡が保たれている間は好いのですが、一旦、関係が破綻すると、<対決>してしまう。そこに犯罪が起きやすい精神土壌があるのでしょう。
昔の農村だけではなく、現代の都会や会社や倶楽部にも、そう言った、近い者同士が、《程好い距離》を保てなくて、近づき過ぎたり、遠く離れ過ぎてしまう問題があります。出身地や出身校や趣味や倶楽部などで派閥を作ってしまうのです。あんなに仲が好かったのに、何時の間にか、疎遠になってしまうか、憎しみ合ってしまう友人、同僚、恋人同士が多くいるのを見て来ました。
田舎で育った方は、それが嫌で、家と親元から、都会に出て、解放されるのですが、この“コンクリート砂漠“で生活していくうちに、孤独になって行くのです。 都会も形を変えた束縛や不協和音があるのに気付くからです。それで、『都会は嫌だ!』と、Uターンをしてしまい、元の煩雑な関係に舞い戻る人も多い様です。
祖父母を、私は知らないのです。母の養母には、小学校の時に出掛けて、叱られた記憶があり、父の養母の葬儀に、父のお供で出たことがあるだけでした。だからオジやオバも従兄弟、従姉妹も、両親共付き合わなかったので、訪ねて行くことも、来ることも全くなかったのです。これも、日本の社会の中では、逆に珍しいかも知れません。
ですから「お年玉」を、親戚の人にもらった記憶もないほど、疎遠だったので、「村の掟」とか「親族の柵」などに縛られたこともありません。中上健次の小説の題材が、ほとんど、家族間の軋轢と衝突だけの様で、その様な世界でなく育ったのは好かったと思っています。「甘え」とか「恥」にも、寄り掛かったり、はなれたりしないで育ったからです。家内が羨むほど、兄弟との関係が好いのです。その上、血の繋がらない兄弟や姉妹がいて、助け合うことができています。
ここ中国も、けっこう故郷(老家laojia)の両親とか、近くに住む親族の冠婚葬祭、日常の付き合いが大変だと言いますが、その一方で、その煩わしさを喜んでいる様にも見受けられます。東アジアの国の私たちは、同じ様な背景に生まれ、育ち、今も生活しているのでしょう。寺山修司は、「家出のすすめ」を著して、家出を勧めています(この中で<自立のすすめ>にも言及しています)。犯罪を犯す前に、そうした方が好いのかも知れません。最善なのは、《程よい距離》で関わることでしょう。
(青森と言えば林檎、その花です)
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