保土ヶ谷あたりまで

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一度挑戦してみたい事の一つは、東海道を歩いて走破してみたいのです。『その年で?』と、声が聞こえそうです。日本橋から「五十三次」で、京都の三条大橋まで、この年齢で、何日かかるでしょうか。旧街道ではなく、国道1号線を、草鞋をウオーキングシューズに換え、「振り下げ荷物」をザックに換えて、「旅籠」ではなくビジネスホテルに泊まりながら、その土地、その土地の名物で外食しながらだです。そうすると、"百万円"ほどかかってしまうかも知れませんね。

箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川

それだったらザックにテントや寝袋を入れて、それを背負いながら歩いて、野宿しながら、「のり弁」や「シャケ弁」でも食べて歩けるでしょうか。野良犬や蚊に攻められる心配もありそうです。着替えなど、江戸時代の旅人は、どうしていたのでしょうか。何やら、難しそうな事ばかりがありそうです。もう多摩川を渡ったあたりで、靴擦れができてしまって、"ベソ"をかいていそうですね。

学校に行ってた頃、友人が仲間を引き連れて、「高下駄(朴葉/ホオバ、朴の木で作った下駄)」で、「東海道中膝栗毛(ひざくりげ)」をした事がありました。「二十歳の奇行(!?)」だと思って、笑っていましたが、羨ましさで彼の姿を見ていました。それ以来、心の中に仕舞い込んでおいた願いが、数年前からフツフツと湧き上がってきているのです。

「老いの戯れ言」でしょうか。結構出来そうにも思うのですが。でも便利さの中にトップリと浸かって生きて来ましたから、弱音を吐きそうです。でも、「思い立ったら吉日」と言いますから、失敗覚悟で、日本橋のたもとから始めてみましょうか。そうそう、日本に引き上げてからにしましょう。少なくとも2ヶ月はかかるかも知れませんから。

赤チンに包帯、下痢止めや痒み止め、栄養ドリンクやチョコレート、ビタミン剤なども必要でしょうか。そんな事言ってたら、江戸の旅人に馬鹿にされ、笑われてしまう事でしょう。箱根は、大学駅伝を観戦するだけで、上り坂では息切れしそうです。大井川も天竜川も「川止め」はないのですが。これをお読みの方は、もう初めから、『できっこない!』と言っていそうですね。では、取り敢えず保土ヶ谷あたりまでやってみましょう。
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甲州街道も中山道も日光街道も奥羽街道も、山道が多くあって大変そうですが、一番短いのは日光街道でしょうか。昔の人は、足が強かったのでしょうね。こちらの女性の歩き方が早いのには驚かされます。こちらが遅すぎるのかも知れませんが、いつも追い越されてしまいます。『すぐそこ!』を間に受けてると、驚くほど遠いのです。車に乗り慣れて、こちらに参りましたから、歩き専門です。感覚の"ズレ"があって、困らせられる事が多いのです。でも、ここも車社会になりつつありますから、みなさん、脚力が落ちてしまうかも知れません。
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