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『私はほんとうぬ死ぬつもりなんだぞ!』と言い続けた方が、先日、多摩川で入水自殺をしたと、ニュースが伝えていました。この方のお話を、私は聞いた事があって、こう言った人生の締め括りをする事に驚いたのです。それが人として最善だとは思えないからです。「自裁死」と言う最期(さいご)が、この方の考えを高く評価してきた若い人たちに、よい事の様に思われなければいいなと感じたのです。
イスラエル民族に伝えられた故事の中に、一人の自殺者の話があります。ダビデ王の顧問で、驚くほどに知恵のある人でした。ある時、ダビデの子が謀反を起こすのですが、その時、アヒトヘルは、仕えてきたダビデを見捨てて、そのアブシャロムの助言者となり、主君を裏切るのです。
日の昇る勢いのアブシャロムに加担する道を、彼は選んだわけです。こう言った生き方をする彼が、挫折を経験するのです。イスラエル人の心を盗んだアブシャロムを支持する民が増え、彼らの心がアブシャロムになびいてるのを知って、ダビデは、王宮から逃げ出したのです。
ダビデの家来で、もう一人の助言者が密命を受けて、アブシャロムに仕えるのです。アブシャロムがダビデ討伐を考えていた時に、アヒトヘルは、驚くほどの知恵で助言をしました。ところが、そのフシャイにも、アブシャロムは意見を求めたのです。彼は『この度のアヒトヘルの助言はよくありません!』と言って、自分の策略を、アブシャロムに提言したのです。何とアブシャロムは、天から託宣を受けて助言するかに見えたアヒトヘルの進言を退けてしまいました。
その人生初めての拒絶体験に、アヒトヘルは耐えられなかったのです。彼は、故郷に帰って、家の整理をして、あっけなく死んでしまいました。それが潔い死なのでしょうか。そう言った死に方を選んだ、このアヒトヘルの考え方や生き方に、決定的な弱さがあったのです。挫折や失敗で、自らの命を断とうとする代わりに、知恵者の知恵が、その事態で役に立たなかった事になります。
それで命拾いをしたダビデの家来が、アブシャロムを打つのです。この国の戦国時代の物語は、日本のそれに似ているのですが、21世紀の今日でも、「下剋上(げこくじょう)」もあり、挫折も失敗もあります。ところが、ダビデの家族間に抗争や多くの問題をもたらした原因が、ダビデ自身にありました。部下の妻に横恋慕し、子を宿らせてしまいます。さらに部下を戦いの最前線で戦死するように画策して、死なせたのです。ダビデは、《人の道》を踏み外してしまいます。
そんなダビデが老齢になって、「冷え性」で寝られなくなった時、部下が、乙女に添い寝するように段取りをするのですが、ダビデは、この娘に触れようとしなかったのです。最晩年に、ダビデは,《賢王の生き方》を取り戻していたわけです。そしてダビデは老いて、弱って、人の世話を受けて死んで行きました。
西部邁氏は、そう言った《老いゆく惨めさ》を嫌い、《病んで人の世話になる介護》を拒んだのでしょうか。謙って、老いや病を受け入れ、生き続けて欲しかったのです。少しも潔い死に方ではありません。人は、必ず死の時を迎えます。夫人の癌の闘病を看た事は大変だったのでしょうし、死別の悲しみも大きかった事でしょう。それも受け入れていく様に、人はあるのでしょう。
ご自分も病んで、子どもたちの世話になりたくなかった様です。でも、《老醜(ろうしゅう》を晒しながらでも、人は生き続ける、《最期の務め》があるのです。私は、『華々しく最後を飾りたい!』なんて考えていません。今まで迷惑をかけて生きてきた、そのついでに、もう<ひと迷惑>を、家族にかけながら生きて、カッコ悪く「自然死」の時を迎えたいと思っています。人生の最善は、『生きよ!』と言う声を聞いて、飽くまで《生きる事》にあるからではないでしょうか。
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