足尾への周遊の遠足で

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 秋晴れで暖かな昨日、北栃木一周の小遠足をしてきました。朝8時に家をでて、栃木駅に着き、東武日光線で、東武日光線駅まで急行電車に乗車したのです。駅前から、足尾行きに市営バスに乗り、わたらせ渓谷鉄道の通洞駅前で下車しました。駅横のベンチで、早めの昼食を摂ったのです。そして、そこから電車でJR両毛線の桐生駅に行き、栃木駅に帰ったのです。

 日光駅からのバスは混んでいて、家内だけの空席があったのですが、私は座れませんでした。まあいいかで、家内の横に立ったのです。すると一人の男の人が、席から立ったではありませんか。中学生ほどの男の子を連れたご家族でした。押し問答をしたのですが、この方が『没問題(OK! 構いません)』と立って、席を譲ってくれたのです。通常ですと、この場面では、座ってる方は、スマホに目を向けたまま、無視を決め込むのですが、私の目を見て席を譲ってくれました。

 中国人の家族でしたので、中国語で感謝をしたのです。そこで、どこから来られたのかを聞きましたら、『我们広東来了!』と答えてくれたのです。中国の南の広州省の省都で、『行ったことがあります!』と話して、しばらく会話をしました。

 私たちが、中国に行きましたのが、60を過ぎてからでした。初老の私たちがバスに乗り込むと、すぐに何も言わないで、若者のみなさんは、席を立ってくれて、『坐吧zuoba お掛け下さい!』と席を譲ってくれたのです。しかもいっせいにでした。『谢谢xiexie 』と言って座らせてもらったのです。

 中国人のみなさんは外国に来ても同じなのです。敬老の思いが強いのです。途中で、席を代わろうと言ったのですが、手を横に振って座ろうとはしませんでした。横で、奥さんはニコニコと眺めておいででした。足尾に入ってから、途中で降りて行かれたので、家内は、『一路平安 yilupingan 旅のご無事を!』と言って見送っていました。

 日光から足尾への道筋で、中国人魂に触れて、13年過ごした中国での出会いや出来事や交わりを、懐かしく思い出した、バス車内での一時でした。旅行中の外国の方に、そんな親切を受けて、なんとも気分の良い晩秋の遠足でした。

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 乗車した「わたらせ渓谷鉄道」は、元は国鉄線で、それ以前は足尾銅山の銅鉱石の搬出鉄道でした。初期は人車、馬車による鉄路で、鉱夫のみなさんや食糧物資の搬送にも使われていた様です。鉱山が盛況の頃には、この足尾は、宇都宮に次ぐ人口の町だったそうです。中国や朝鮮半島からやって来て、鉱山で採鉱に従事していたが多かったのです。精錬された銅は、年間6000トンほどもあったそうです。悲喜交交(ひきこもごも)、さまざまな人生劇が見られ、日本勃興期、近代化に役割を果たした町だった様です。その歴史の一ページを記したことになる町です。

 秋の旅行シーズンで、1輌だけの電車は混んでいました。沿線の紅葉も見事で、しかも晴れ渡った秋晴れで一入美しかったのです。旅行シーズンでも電車の運行は、単線でしたので、駅での停車時間が長めで、ローカル電車の趣にあふれていて、平常は運転手さんだけでの運行なのですが、シーズンでしたので車掌さんも乗車していて、切符の精算だけではなく、記念品の販売の売り子さんも兼ねていて、これまた地方色を感じられたのです。

 家を出て、電車とバスの利用の一日で、周遊ということで途中下車なしで、それでも7時間ほどの遠足だったのです。秋の陽を浴び、心も体も温もって、家内は満足そうに、来県以来初めての小遠足に疲れたのか、もう座席に暖房も入っていましたし、心地よい揺れもあって、転寝(うたたね)三昧(ざんまい)の遠足後半でした。また遠足しようね、の感謝の一日でした。

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