訛る

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このブログは、去年の5月1日に投稿した分です。「悠然自得」から消えてしまった分ですが、原稿が残っていますので再掲載します。どうしてかと言いますと、今回の"平昌冬季オリンピック"で《カーリング女子》で銅メダルに輝いたチームが、北海道北見市の出身で、彼女たちが、『そだねー!』と、訛(なま)っていたのがニュースになっていて、去年の投稿記事を思い出したからです。

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私の生まれ故郷には、独特な「方言」がありました。そこで、のびのびと育ったのですが、子どもたちの教育のことを考えた父が、東京に住むことを決めて、南新宿に家を買おうとしました。ところが、これから思春期を迎えて行く息子たちに、歓楽街の近くに住むのは好くないということで、三多摩地区に家を買ったのです。そこにも、「方言」がありました。神奈川県に近いからでしょうか、そこと同じような「方言」だった様です。

ここ札幌に来て、同じ病室の方や、看護士さんや療法士のみなさんの話を聞いていますと、ここにも独特にあるようです。「語尾」に特徴があるのです。『しばれる』、『おおこわ』というのは有名ですから知っていたのですが。親しい人同士だと、語尾が砕けて話しています。

『俺、自動車の運転手してるんさー。』
『(奥さんに)今日市役所に行ってくれるんかい。』
『あの店の焼き鳥がうまいんだわ。』
『あのTシャツ、あの店で売ってるんだわ。』
『先週、留萌に行ってさ。』
『今日はなまら寒いんだわ(とても寒い)。』

こんなことを聞いています。これだと、真似できそうで使ってみようかなとも思っています。北海道は、アイヌのみなさんが原住民でして、金田一京助が、このアイヌ語の研究をされたようです。道民の多くの人たちは、日本の各地からの開拓者で、それぞれの地方の言葉を持って、やって来た人たちの子孫の北海道なのです。

札幌の隣に、「東広島市」がありますから、ここは中国地方の広島からの移住者が多くて、そう命名された街なのでしょう。『先祖は、どこの出身ですか?』と、何人もの人に聞くのですが、『さあ〜』と返事が返ってきます。もちろん転勤でやって来て、住み着いた人もいますし、様々なのでしょう。このところ、北海道を舞台にした映画で、主人公が使っていた<北海道弁>を、<生(なま)>で食べ、いえ聞いている毎日であります。(2017年5月1日記)

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今住んでる中国の南方でも、「方言」や「訛り」があって、独特なのだそうです。私たちは、東北の天津で、漢語の学習をしたのですが、そこは<標準語>でした。それで引っ越して来て、その<違い>が外国人の私たちにも分かったのです。『訛りは国(出身地の事です)の手形!』と言われますが、「訛り」のない私には、ちょっと寂しいのです。響きが優しくって、『そだねー!』はいいですね。

(北見観光協会のPR画像、カーリングチームです)
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雪中花

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食卓の上で、4輪の「水仙」が咲き揃いました。牙を剥くように押し寄せる日本海の波が洗う、越前岬の雪の中に咲いている事など想像もできないのですが、同じ花が、場所を変えて、「雪中花」と呼ばれるのが不思議に思えます。球根から育てた、わが家の「水仙」は、恵まれた環境の中で咲いているのですが、花の気持ちは、どうなのでしょうか。

作詞が吉岡治、作曲が市川昭介、歌が伍代夏子の「雪中花」という歌があります。

1 風に風に 群れとぶ鴎
波が牙むく 越前岬
ここが故郷 がんばりますと
花はりりしい 雪中花
小さな母の 面影ゆれてます

2 紅を紅をさすこともなく
趣味は楽しく 働くことと
母の言葉が いまでも残る
雪をかぶった 雪中花
しあわせ薄い 背中を知ってます

3 いつかいつか薄日がさして
波もうららな 越前岬
見ててください 出直しますと
花はけなげな 雪中花
やさしい母の 笑顔が咲いてます

越前福井出身の方が、同じ事務所で働いていました。あのアメリカ人起業家と一緒に働いた同僚だったのです。芯が強く、へこたれない好い人でした。お父様と妹さんが、年に一度ほど、稲刈りを終えて、農閑期になるとおいでになっていました。その時、お米や松茸を頂いたりしたのです。海岸地帯ではなく、内陸部の出身でしたが、寡黙なギターの上手な方でした。

母も日本海沿いの出雲の出身でしたから、人としての雰囲気が、彼と似ていたでしょうか。春を待ちわびる思いは、寒ければ寒い地方ほど、期待する気持ち大きいのでしょうか。綺麗に咲いた「雪中花」を眺め、牙向く波を想像し、懐かしく人を思い出しているところです。
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