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とても忙しく過ごしていて、心身共に疲れていた時に、山の方にある湯治場に出掛けた、何年も前の出来事です。数日前に雪が降った山間の道を、車で走っていた時のことです。坂道で、降った雪が踏み固められて、凍結していて、タイヤがスリップしてしまいました。ハンドル操作ができなくて何回転かして、右側の崖にぶつかって止まったのです。回転している間は、もう何もできず、アレヨアレヨの状態でした。
その坂道を登ってくるトラックがあって、随分ゆっくり登坂しているのを眺めていて、何も気づかなかったのです。凍った路面で滑らない様に 、その運転手は、慎重に運転していたのです。そのあたりの道路状況は、よく分かっていたつもりでしたが、何も考えずに坂を降っていての自損事故でした。幸いにも、左側のライトが壊れただけで、体も打つことがありませんでした。
あの何秒間に味わった感覚を、いまだに覚えているのです。偶発的なことではなく、まさに不注意の結果でした。ああ言った《数秒間の経験》が、車の運転時以外に、これまで何度か、私の生きてきた間にあったのです。急激に事が起こって、どうすることもできない事態です。そう言うのを《パニック》と呼ぶ様です。
事が起こって、冷静になって感じるのは、《起こるべくして起こった事》だと分かるのです。<300回のヒヤリやハットの体験>、そして<29回の小事故>が、<一回の大事故>の前にある事を、アメリカの保険会社の調査をしていたハーバート・ハインリッヒが言っています。有名なのに「ハインリッヒの法則」です。
よく言われるのですが、人生の決定的な失敗は、<若気の至り(わかげのいたり>で見逃される若い時代にではなく、人生の後半期に起こっているのです。酸いも甘いも噛み分けられる年齢に、<落し穴>があります。どうも、どの様に生きてきたかの結果が、晩年期に表されてしまうわけです。
そういえば、小学校の担任の先生たちが、異口同音に言ったのが、『お前は落ち着きがなく、ちっともじっとしていない!』でした。そんな通信簿の行動の記録に書かれた私を、父も母も気に留めずに、小言を言うことなく育ててくれたのです。きっと諦めていたのかも知れません。手や膝やスネにある多くの傷跡は、その名残です。
最近では、夢の中だけになりつつありますが、『人生の《警告灯》に注意して生きたら、《大失敗》をしないですむ!』、これが原則の様です。中国の携帯電話に、"百度baidu"というサイトがあって、そこには信じられない様な<交通事故>の記録映像があります。車社会となった今の中国のみなさんへ、《注意運転》を呼びかけているのです。
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