友情

.

GANGNEUNG, SOUTH KOREA – FEBRUARY 18: Nao Kodaira of Japan and Sang-Hwa Lee of Korea celebrate after winning the gold and silver medal, respectively, during the Ladies’ 500m Individual Speed Skating Final on day nine of the PyeongChang 2018 Winter Olympic Games at Gangneung Oval on February 18, 2018 in Gangneung, South Korea. (Photo by Maddie Meyer/Getty Images)

.
小平奈緒さんと韓国の李相花(イ・サンファ)さん、ライバル同士の「友情」、素敵ですね!("スピードスケート500m"の1位、2位です)
.

昭和

.

.
1955年(昭和30年)に、宮川哲夫の作詞、利根一郎の作曲で、宮城まり子が歌った「ガード下の靴みがき」がラジオから流れて聞こえてきました。

1 紅い夕日が ガードを染めて
ビルの向こうに 沈んだら
街にゃネオンの 花が咲く
おいら貧しい 靴みがき
ああ 夜になっても 帰れない 
(セリフ)
「ネ、小父さん、みがかせておくれよ、
ホラ、まだ、これっぽちさ、
てんでしけてんだ。
エ、お父さん? 死んじゃった…
お母さん、病気なんだ……」

2 墨に汚れた ポケットのぞきゃ
今日も小さな お札だけ
風の寒さや ひもじさにゃ
馴れているから 泣かないが
ああ 夢のない身が 辛いのさ

3 誰も買っては くれない花を
抱いてあの娘(こ)が 泣いてゆく
可哀想だよ お月さん
なんでこの世の 幸福(しあわせ)は
ああ みんなそっぽを 向くんだろ

戦争に行ったお父さんが戦死し、女手一つで子どもたちを育てているお母さんが、栄養え失調で病気をしてしまいます。家計を助けるために、いたいけのない子どもたちが、親方から仕事を教えてもらい、道具を借りて、街角で靴を磨いて、日銭を得る、そんな生活をする子どもたちが多い時代でした。中には両親のない子どももいて、<孤児>と呼ばれていました。

親戚に預けられ、喜ばれないので家出をしてしまって、<浮浪児>になった子たちも大勢いました。上野や新宿で見かけた事があります。そんな境遇から、教師になった山田さんは、神戸市の繁華街にあった生花店で生まれました。昭和20年(1945)3月27日未明の空襲で父を失い、6月5日午前の空襲で母を失いました。この2度の神戸空襲による死者は約5700人でした。一人っ子だった山田さんは、10歳で孤児になりました。

『……焼け野原に、ポツンと残っていた銀行の大金庫を、ねぐらにした。15、6歳の仲間が4、5人。一番小さかった山田少年は、みんなの後ろをついて走った。
ガード下の闇市で、店先のまんじゅうをくすね、少し離れた場所で新聞紙の上に並べると、あっという間に売れた。幼い子供の手からイモを取り上げて、食べた。
 秋になった。日一日と寒くなっていく。金庫では眠ることができなかった。他人が住んでいたバラックの板をはがして、たき火をした。米軍のジープがやってきた。カマボコ兵舎に連れていかれた。チョコレートと毛布をもらった。駅で寝ることにした。ホームに入り込んで、列車に乗ったら、暖かくてぐっすり眠ることができた。夜は列車に乗った。舞鶴、和歌山、下関へ。客は復員兵が多かった。車内は混雑していたが「こっちへきて寝ろ」と場所をあけてくれた。食料もくれた。みんな親切だった。ある朝、目を覚ますと東京駅に着いていた。
 上野、浅草、神田、新橋。ねぐらは毎晩、変わった。靴磨きや新聞売りをした。ヤミ市には、物資や人があふれていた。人ごみの中から手を伸ばして、おにぎりや大福もちを取って逃げても、誰も怒りはしなかった。大人も子供も、みんなボロボロの服を着て、地下道に寝ていた。
 <狩り込み>にあった。警官や都の職員が逃げまわる子供たちを「一匹、二匹」と数えてトラックにほうり込んだ。子供たちに、番号がつけられた(「それぞれの昭和」所収)。』

この山田さんは、養護施設に入って、やがて夜間の学校に行き、大学にまで行って、中学校の教諭になっています。様々な人生を生きて、今や70〜80代になっている世代です。<華の昭和>には、そんな事もあったのです。兄や私たちの世代は、敗戦の憂き目をもろに受けて、厳しい時代を、歯を食いしばって生きたのです。《昭和史》には、そんな暗さが色濃かった事を忘れてはなりませんね。

(昭和20年の東京大空襲の焼け跡です)
.