海って好いな!

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今日は、窓から眺められる海浜を散歩してみました。沖合に相当の数の貨物船が停泊していました。荷下ろしや荷積みの順番を待っているのでしょうか、夏の海にノタリノタリとしていたのです。その船の間を、小型の高速艇が走り回っていましたから、きっと税関関係の船なのかも知れません。この辺りから、もう少し西のマレーシアに行きますと、有名なマラッカ海峡があり、東アジアの国々との間を航行する貨客船の通過で有名な海峡です。

海浜には、歩行と自転車の道路が分けてあり、歩いたり走ったり、両親に見守られながら、小さな子どもが電動自動車を運転していました。平日の昼前後でしたから、退職された年代の老夫婦が多かったでしょうか。潮風が吹いていて、木陰は涼しくて、実に気持ちが好かったのです。砂浜に寄せて砕ける波の音を聞いていると、何となく落ち着いて来ました。

街中では年配者が働いている様子を、よく見掛けています。娘に聞きますと、高年齢層に雇用を拡大しているそうで、生活の安定のために必要が見られるようです。食堂や商店の従業員の間には、特に多く見られます。日本も、建築現場や看護や介護の職域などの労働力の不足が見られ、外国人労働者の受け入れが急務だと言われています。

ここシンガポールも、外国人労働者が目立っています。散歩中に、瓦礫をトラックの荷台に積み込んでいたのは、イスラムの服装をした二人のご婦人でした。マレーシア人かも知れません。そういえば前回の訪問時に、マレーシアのジョーホールバルからシンガポールの税関を通過した時に、多くのマレーシア人がオートバイに乗って帰宅している様子を見かけました。越境労働者がいないと、シンガポールの街が機能しないからだそうです。

道路工事や建築工事のような、<3K(きつい、汚ない、危険)>業種は、どこの国でも敬遠されるのでしょうか。これから、道路が陥没しても、修復工事が何週間も遅延してしまうことになりそうですね。農業も林業も水産業も、後継者不足労働力の受給を自国で賄えなくては、国は成り立ちません。大きな課題ですが、労働観の見直しが必要な時代のようです。綺麗な服で働けるサービス業界に、若者が群れているのが気になります。

さて潮騒を聞いていると、そんな巷のことが忘れられて、原点回帰の感じがしてまいりました。海って好いな!

(写真は、WMによるシンガポールの「イーストコースト」です)

誕生日

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今月、八月は、家内と長女と次男、そして次兄の誕生月です。それに長男夫人が、7月末でした。<夏休み>の最中ですので、学校や級友たちと会わない間に迎えるので、忘れられてしまいやすいようです。

昨夕は、私たちの住んでいる街から、シンガポールの大学にやって来ているご家族と夕食を共にしました。ご主人は市内の大学の物理学の教師です。この方の奥様が、家内の誕生日を知っておられたのです。小学校一年の息子さんが、『何をお祝いしよう?』と三日も考えた末に、一枚の誕生カードを書いてくれました。気持ちが込められ、立体的な<デコレーションケーキ>が絵の中心に置かれていて、家内と、何と私も描いてくれてありました。

その他に、家内へのプレゼントは、<保温水筒>で、これも私用も添えていてくれたのです。この心配りに家内も私も、とても嬉しく、<ドイツ料理>の夕食を共にしました。運河が夕映えにきらめいて、熱帯の佇まいの中で、誕生日を祝われた家内は大喜びしていました。

その誕生を両親が愛でてくれたのでしょうけど、すでに召されていますが、こう言った形で、お祝いをされるとは思いもよらなかったのでしょうか、家内は、とても嬉しそうにしていました。生きていると、こんなに素晴らしいことがあるのですね。

中国のみなさんとレストランで食事をすると、決まって<一悶着>起こるのです。食事代を誰が払うかで、『私が!』、『僕が!』、『あたしが!』と、結構激しい戦争になるのです。すったもんだの末に、支払い者が決まると、一件落着なのです。ご馳走になった方は、『次は私が!』と心に決めるのです。

昨日は、久しぶりの再会の歓談も兼ねていましたので、結局、娘がトイレに行く振りをして、払ってしまったのです。このご主人も、トイレに息子を連れて行く振りをされて、払いに行ったら、支払い済みで、機会を失って席に戻って来られて、困っておいででした。

誕生会と再会を果たして、モールの中でハグを交わして、それぞれ家路に着いたシンガポールの繁華街の宵でした。

(写真は、シンガポールのモールの風景です➡︎百度より)

客家人の国

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ここシンガポール は、中華系住民が、77%をしめているそうです。かつて「苦力(クーリー)」と言われた労働者として、貧しかった中国の広東省や江西省や福建省から出稼ぎに来た人たちの子孫が多いとのことです。街中の中華街の中に、この華僑のみなさんの「記念館」があって、初めて旅行して来た時に、連れて行ってもらいました。当時の生活用品や道具の実物が展示されていて、その生活振りの大変だったことが分かりました。

華僑のみなさんは勤勉だったので、コツコツ働いて財をなし、子弟に高等教育を受けさせて政府の要人や軍人になり、近代国家を建て上げ、東南アジアでは、最も裕福な都市、国家となっています。「建国の父」と言われるのが、「リ・クワンユー」です。今は、息子さんが代わって政治責任の地位にありますが、並々ならぬ統率力と決断力とで、国を作り上げた功労者であります。

福建省や広東省には、北の方から戦乱を逃れて、移住して来た人たちで、「客家(クジアー)」と呼ばれる人たちがいます。あの世界文化遺産に登録されたことで有名な「土楼」に住んで有名な人たちでもあります。不屈の生命力に富んだ人たちで、新天地を求めて東南アジアにやって来て、働いた人たちが数限りなくいたそうです。このリ・クワンユーは、この<客家人気質>を具現した人物で、イギリス統治から独立した国を、長く導いて来たことになります。

どの国家にも、重要な転換期に、特別に選ばれた人材がいて、そう言った人たちが国を興し、歴史の節目節目に現れて、<中興の祖>として,その能力や賜物を発揮した人物がおいでです。東京都区内と同じほどの面積の国でありながら、商業都市としてアジアの要になっているのです。数年前に、家内が治療のために行った病院では、低額の治療費で好いとしてくれ、外国人(日本人だからでしょうか)を優遇してくれたのには、驚かされました。そんなこともあって、この国の更なる繁栄と平和を願はされている私であります。

(写真は,百度による「シンガポールの街並み」です)