都市部から離れた辺鄙(へんぴ)な「田舎」を、漢語では「乡下(郷下)xiang xia」と言います。また自分の「故郷」を、「老家laojia」と言います。先週、訪れた郊外の幹線道路を車に乗せていただいて通りました。その沿道風景は、都市部から郊外に抜けて行く、日本の風景と、そっくり、な様子を見せていたのです。
所々に農家や商店があり、夏の花が綺麗に、道路沿いに咲き、アパートの中の植え込みにも咲いていました。春先に咲く花の色に比べて、色の濃さが増し加わって、夏の感じが溢れていました。懐かしかったのは、泊まったホテルの庭に、<百日紅(サルスベリ)>の木の花が咲いていたことです。日本の知り合いの家の玄関に、植えられていて、本当に猿が滑ってしまいそうな幹や枝だったのと、まったく同じでした。ピンクでしょうか、薄紅色でしょうか、綺麗な花をつけていました。
そ言えば、『カナカナ!』と聞こえる蝉の声がしていたのです。あの暑さを掻き立てる『ジージー!』とは違っていました。田舎だったからではなく、季節が移ろっていたからなのでしょう。街に戻って来ましたら、蝉の声が聞こえてきません。やはり、秋なのでしょうか。秋は、夏と共、そっとやって来ていて、猛暑の中に隠れているのだそうです。そう言えば寝苦しい夏の夜が、明け方近くなると、若干温度が低くなっているにではないかと感じさせられるこの頃です。
夏草や 兵(つわもの)どもが 夢のあと
奥州藤原三代の栄誉を、思いながら、「奥の細道」を旅しながら、芭蕉が読んだ俳句です。中一の国語で習ったのですが、『人の盛りの時期と言うのは、短いのだ!』と解説されて、これから生きていこうとしていた十三の私には、『へー、そんなものなのか?!』と思っただけでした。この中国大陸も、数限りない武将たちが群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)し、東西南北に兵を走らせ、民を追ったのです。
今まで、どんなに暑かった夏も、必ず終わって、秋が到来しています。何事にも移ろいと終わりがあるのですね。いやー、ちょっと達観してしまいました!
(写真は、”奥の細道画巻・平泉”による「芭蕉」、下は「サルスベリ」です)