マウント・フェーバーにて

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昨夕は、長女の友人のご婦人が、約束してくださったように、家の前まで迎えに来てくださったのです。40年以上の運転歴があり、今もご自分で車を運転されるのですが、日本に留学したことのあるご婦人もご一緒でしたので、この方が運転してくれました。シンガポールで、二番目の高さの丘の上にあるレストランにお連れくださったのです。セントーサ島と海岸線の街並み、海と島々が見下ろせ、シンガポールで最も夜景の綺麗な所だそうです。

『そこを左に曲がって、そう、まっすぐにね!』と道順を教えておられるのを聞いて、『あ、長年高校で校長をされてきた人なんだな!』と得心したのです。大勢の教え子さんがいて、この国で、様々な要職に就いておられるようです。それは、単なる自慢話ではなく、『ただ小さな私が・・・』と仰りながらでした。きっと街中を歩かれると、多くの教え子さんから声がかかることでしょう。

多くの兄弟姉妹のいた貧しい家庭で子供時代を送ったそうです。日本軍の侵攻も目の当たりにされたのですが、多くを語られませんでした。お兄様は、この国の建国に関わったお一人で、昨年召されたのだそうです。激動の時代を生きて、女手一つで育て上げた三人の息子さんも、それぞれの分野でご活躍で、10人のお孫さんがおいでで、ひ孫や姪や甥も大勢のようです。

旅の私たちにとっては、思いがけない出会いがあって、随分と盛りだくさんのご馳走を皿に取り分けては、『どうぞ!』と進めて下さったのです。『きっと、ご家族の中で、こうやって振舞っているんだろうな!』と思わされました。中華系の移民の背景の中でお育ちですが、大英帝国の淑女を感じさせてくださる素敵な老婦人なのです。娘が、『お母さん、こんなに綺麗に積極的に生きているおばあちゃんに倣ってね!』と言っていました。

『中国語を話せないのです!』と言われて、流暢なイギリス英語をお話しでした。人懐こくって、話題が豊かで、気配りがあって、素晴らしい81年を生きてきたことが分かりました。何と、お土産にガラス細工の<虫眼鏡>をもらってしまいました。なぜか、まだ老眼になっていないのですが、大事にしたいなと思っています。丘の上のレストランは、窓も壁もなく、麓から吹いてくる風も、実に頬に心地よい、満ち足りた夏の宵でした。このご婦人の健康を心から願って家路についた11時前でした。

(写真は、”百度”より、マウント・フェバーからの景色です)