『お父さん、とても好い映画があるんだけど、観たらいいよ!』、と娘に言われて観たのが、「いまを生きる(1990年日本上映)」でした。
どんな内容だったかと言いますと、「1959年、バーモントの全寮制学院ウェルトン・アカデミーの新学期に、同校のOBという英語教師ジョン・キーティング(ロビン・ウィリアムズ)が赴任してきた。ノーラン校長(ノーマン・ロイド)の下、厳格な規則に縛られている学生たちは、キーティングは「教科書なんか破り捨てろ」と言い、詩の本当の素晴らしさ、生きることの素晴らしさについて教えようとする。このキーティングの風変わりな授業に、最初はとまどうものの、次第に行動力を刺激され、新鮮な考え、規則や親の期待に縛られない、自由な生き方に目覚めてゆくのだった。キーティングは授業中に突然机の上に立って宣言する。「私はこの机の上に立ち、思い出す。つねに物事は別の視点で見なければならないことを! ほら、ここからは世界がまったく違って見える」。生徒も立たせ、降りようとした時に「待て、レミングみたいに降りるんじゃない! そこから周りをきちんと見渡してみろ!」と諭す。」と、ウイキペディアにあります。
この学校の卒業生で、教師のキーティングを演じたのが、ロビン・ウイリアムズでした。もう一度観たい映画の一つです。教室の机の上に立って、詩を吟じる姿が印象的でした。また、学生の間で起こった問題の責任をとって学校を退職することになり、学校を後にするキーティングを、在校生が、『Oh captian!My captiann!』と呼びかけて、見送る場面は、じつに感動的でした。
クラス担任をしていた時、問題を起こした生徒を退学させるか、残すかを決めなければならなくなったことがありました。私は、この学生を残すつもりでしたが、学年主任も教頭もは、<自主退学>にしようとし、そう処分が決まってしまいました。この学生の将来よりも、学校の対面を保つための体のいい<退学処分>になったのです。『これこそ天職だ!』と感じていた私でしたが、この一件で、教育への情熱がいっぺんに醒め、翌年春、年度終わりに、彼女に遅れましたが退職願を書いて学校を去りました。
問題の最中(さなか)に、アメリカ人実業家が、『一緒に働かないか!』と誘ってくれていたので、その決断に弾みがかかったことになったのです。それとともに、当時の学校の同僚の生き方や、教育の仕方への躓きもありました。ちょっと言えない内容ですが。時々、あんころ餅を作ってきて、作業員室でお茶を飲む席に、『先生、一緒に!』と誘ってくれた掃除のオバさんたちが、退職を惜しんでくれたのです。あの学生は、もう<おばあちゃん>をしているのでしょうね。
そんなことを思い出させてくれた、ロビンが数日前に亡くなりました。あの映画を観て、強い印象を持った方が多かったのに、病んでも自分の弱さに直面しても、年老いても、今のいまを生きて欲しかったと思っている、この週末です。
(写真は、”yahoo検索”より、「いまを生きる」の一場面のイラストです)