秋風が立つ

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「立つ」、風が、波が、秋風が、涼風が、霞が、角が、弁が、義理が、筆が立つと言います。物事が進んで行く状態に、この「立つ」が使われるのでしょうか。日本語の面白さです。シンガポールに行っている間に、<秋が立って>、立秋を過ぎたのに気づきませんでした。コンクリートのアパートの十九階の娘の家の、何処かから虫の音が聞こえたのが、その頃だったのかと思い返しているところです。

季節にも「立つ(立春、立夏、立秋、立冬)」を用いるのですから、漢語の中に「立つ」と言う言葉を使う例があったことになります。汗かきに私にとって、この数年の暑さは格別で、少し動いただけで、大汗ですから、<秋立つ>季節の到来は、大歓迎です。信州や八ヶ岳の初秋しか知りませんが、高校野球が行われて、優勝校が決まった頃から、秋が感じられて、『あーあ、もう夏や積みが終わって、また学校か!』と、今頃は決まって思っていたのです。

毎年思い出す歌に、

秋はいいな 涼しくて
お米が実るよ 果物も
山からコロコロやってくる

があります。<涼しさ>を願い気持ちが込められ、秋そのものが、山から、<コロコロ>と転がってくるのでしょうか。古里の山や川はどうなっているのでしょうか。過疎で人が少なくなり、父や母を覚えている人もいなくなってしまったことでしょう。それでも、あの時の空の色、風や土の匂い、かじった栗や柿の実の味が、ジワリと感じられるかのようです。

そういえば、土曜日に買い物に行ったら、果物屋さんの店頭に、柿がならんでいました。小さかったのですが真っ赤で美味しそうでした。それでも買わずじまいで帰ってくてしまったのです。この暑さでは、ちょっと趣(おもむき)がなくて、食べる気を誘われませんでした。九月に入ったら、買ってみることにしましょう。はたして秋風の立つ頃の古里を思い出せるでしょうか。

(写真は、”tozan.net”から「甲武信岳(こぶしだけ)」の登山道です)