「源格村」への春の一日

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 春晴れのもと、バスと自家用車に分乗して、総勢五十人ほどのグループで、車で1時間半ほどの「源格村」に出掛けてきました。咲き誇った菜の花の黄色が、青空に映え、春のそよ風が頬を撫でていく田舎の村でした。空気は美味しいし、「木苺」がなっていて、それを摘んで、口に含んだら、幼い日が蘇ってくるほどでした。清の時代に、県知事に任命された人の「記念の石版」が、訪ねた家から15分ほど小高いい丘を登り切ったところにある作業小屋の入り口に、踏み板になって使われていました。きっと、この家の何代も前の方のものなのでしょうか。『そんなに由緒ある「石版」を、こんな使い方をしていいのかしら?』と思わされましたが、何もいいませんでした。

 こういった季節と自然を感じられる小旅行が、毎年春と秋に行われていて、いつも誘われて、時々参加させてもらっています。この家の若婦人が、もち米を蒸して、それに「野沢菜(日本の物とまったく同じです)」の漬物と、「ぜんまい」の茹でたをのせて、その上に、またもち米をのせたのを、歓迎の意味で振舞ってくれました。昼にはだいぶ早かったのですが、空気は美味しいし、小腹も空いていたので、実に美味しかったのです。まるで日本の味でした。歌ったり、ゲームをしたり、また語り合ったりしてから昼ごはんには、用意して持っていった食材、牡蠣とアサリと豚肉と青菜等の入った麺を作ってくれて、食べました。村中が見下ろせ、山も迫り、自然がイッパイでした。すぐ近くの「豚舎」から、きつい匂いがやって来ましたが、それも自然の内、苦もなく美味しくいただくことができました。

 食後には、見栄えは悪いのですが、この時期に取れるのでしょうか、甘い「夏ミカン」のような柑橘類を食べ、丘の中腹にある「オリーブの木」から、木の枝に登ってゆすり落とす実を拾いました。子どももいましたから、大歓声を上げて拾ったのです。都会から脱出して、田舎に出かけるというのは、「原点回帰」になるのでしょうか。子どもの頃に、兄たちの跡を追って山の中に分け入ったことがありましたから、山村生まれの私にとっては、「故郷回帰」のようでありました。植生も、山の姿も、人情も、村人の表情も、日本と全く同じでした。
  
 私と家内が乗せていただいた車は、「面包車mianbaoche」というバンで、運転は穏やかなのです。ところが、ただ行きも帰りも、ハラハラの連続でした。対向車も後続車も、追い越し禁止の道路で、酷く危険な追い越しをしているのです。日常的に、これが行われているのですから、運転手は大変だと思いました。日本よりも道路の幅員は広いのですが、『こちらでは絶対に運転しない!』と、改めて思わされるほどでした。以前は、今ほど車が多くなかったので、こういった危なさを感じなかったのです。しかし今年は、その危なさに度肝を抜かれた感じでした。車の数の増え方が、ものすごいのです。しかも、高性能な外車(日本やドイツやアメリカ製です)の割合が非常に高いのです。それなのに、運転が荒すぎるのには驚きです。今後事故が頻発する予感がしています。これさえなければ、郊外への小旅行は楽しいのですが。

 別れ際、歓迎してくださった夫妻、若夫婦と7ヶ月のチビちゃんが、笑顔で挨拶をしてくれたのが印象的でした。無事に帰れて、よい春の一日でした。外は、そろそろ暮れなずんできたようです。

(写真は、「菜の花」の咲き誇る畑です)