ランドセル

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 次女が小学校に入学するときに、ほんとうは、新しいのを買ってあげたかったのですが、従姉妹が6年間使った物が、『まだ使える!』と聞いた私は、次女を納得させて、それで入学し、通学することになったのです。新入生のことを、『ピカピカの一年生!』と言っていた時代でしたから、誰もが、着る物もクツもソックスも、全てが真新しかったのです。その小学校の新入生を象徴するのは、伝統の「ランドセル」でした。ところが次女だけ、中古だったのです。『ちょっと、可哀想かな!』と思いましたが、文句一つ言わないで、それを背負って、家内と入学式に行くのを見送りました。

 初めての保護者会があって学校に出かけ、5年の長男、3年の長女についで、次女のクラスに行きました。どのランドセルも一様に照り輝いていたのです。そんな中で、輝き一つない、くすんで傷のついた次女のランドセルだけが、『デン!』と馴染んで、教室の後ろの棚に置かれてありました。少しゆっくりな同級生の世話を焼いて、自分のしなければならないことを後回しにしてしまう彼女は、それ以降、マイペースで生きてきたようです。

 先日、次女に電話をかけたら、小学校の1年の孫のことを話していたでしょうか、そうしたら、『お父さん、小学校2年の時の試験で、あまりよくない点数をとったことがあったけど、そんな点数を取る生徒はいないよね。それなのに私なんか平気で、そんな点数だったよ!』、と言っていました。四人の子の試験の点数など、全く気にしなかった私は、それを初めて、本人の口から聞いたのです。それで、彼女の息子は、どうなのかなと、ふと考えてみたのです。『人間の価値を点数で測る事自体が無理!』と、常々思って来ましたし、欧米の教育は、日本と違うこともわかっていますので、まあどうでもいいことで得心しました。

 長男の息子が、来月7日に、市立小学校に入学します。それでジイジの私は、帰国中に、「ランドセル」を買ってプレゼントしました。約束していたからです。やはり、「孫」には、中古は使わせられないので、「ピカピカ」を買ったのです。4人の子どもたちの入学の頃を思い出してみましたが、昨日のことのようです。家内が来月帰国し、入学式前に着きます。『入学式に出るので、きちんとしたスーツを持って行こうかな!』と言っていましたが、子どもたちの四回の入学式に、祖父母が列席していた試しがなかったことを思い出したバアバは、その願いを引っ込めてしまったのです。「慣例破り」をしてみても面白いのですが。

 「入学式」と「桜」はセットのような日本の社会なのですが、ことしの「開花予報」はもう出ているのでしょうか。満開の桜の木の下での記念写真は、みんなが撮りたいところですが、我が4人の時はどうだったのか、思い出せない三月の中旬であります。

(写真は、「桜ん坊ブログ」から、「坂戸橋の桜〈長野県上伊那郡中川村〉」です)

ふるさと

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 『ふるさとは遠きにありて思うもの。』と言ったのは、室生犀星でした。この言葉は、「小景異情ーその二 」という彼の詩の冒頭の部分で、その後に続くのです。

     ふるさとは遠きにありて思ふもの
     そして悲しくうたふもの
     よしや
     うらぶれて異土の乞食となるとても
     帰るところにあるまじや
     ひとり都のゆふぐれに
     ふるさとおもひ涙ぐむ
     そのこころもて
     遠きみやこにかへらばや
     遠きみやこにかへらばや

 犀星は、21歳で「物書き」として生きていくことを志して、故郷の富山から東京に出ました。若き犀星の「望郷の思い」が込められた詩ではないでしょうか。でも、悲哀に満ちて、輝かしい青春の光が感じられないのは、東京の貧しい生活のせいでしょうか、それとも彼の生い立ちのせいでしょうか。それとも「明治」という時代のせいなのでしょうか。

 飛行機で3時間、船ですと上海から丸二日で大阪港に着くことのできる「祖国」ですが、いつでも帰れそうで、そうできない現実があります。犀星が、東京から富山へ思いを向けたように、この華南の街から、中部山岳の我が故郷に思いを馳せますと、犀星のように「悲しくうた・・・」えない私は、情感が乏しいのでしょうか。親族も知人も友人もいない生まれ故郷ですが、空の高さ、川の流れの清さ、空気の清々しさ、野菜や果物の香りや味が、目の前の現実のように感じられるのは不思議な感覚です。もう何年も何年も前の夏、生まれた家が、「破れ屋」のようになっていたのを訪ねたことがありました。産湯の水を汲んだ井戸も、竈(かまど)も、そこにはありませんでしたが、『ここで生まれた!』という感覚を呼び覚まされたのです。いえ、産んでくれた母、養ってくれた父を思い出したと言うべきでしょうか。

 犀星のように、「涙ぐむ」ことはありません。そこだけが私の故郷ではなく、「永遠の故郷」の存在を知った今の私にとっては、生まれ故郷は「一里塚」なのです。苦しみ悩み痛むことのない世界への「憧れ」が、今、心を満たしています。もちろん、懐かしいことは確かですが、私の「ふるさと」への思いは、未来に向けられているのです。そこには幼い日の「団欒の賑わい」が待っているように思えてならないのです。だから、今、微笑んでいる私なのです。

(写真は、雲海の向こうに見える「ふるさとの山」です)