ふるさと

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 『ふるさとは遠きにありて思うもの。』と言ったのは、室生犀星でした。この言葉は、「小景異情ーその二 」という彼の詩の冒頭の部分で、その後に続くのです。

     ふるさとは遠きにありて思ふもの
     そして悲しくうたふもの
     よしや
     うらぶれて異土の乞食となるとても
     帰るところにあるまじや
     ひとり都のゆふぐれに
     ふるさとおもひ涙ぐむ
     そのこころもて
     遠きみやこにかへらばや
     遠きみやこにかへらばや

 犀星は、21歳で「物書き」として生きていくことを志して、故郷の富山から東京に出ました。若き犀星の「望郷の思い」が込められた詩ではないでしょうか。でも、悲哀に満ちて、輝かしい青春の光が感じられないのは、東京の貧しい生活のせいでしょうか、それとも彼の生い立ちのせいでしょうか。それとも「明治」という時代のせいなのでしょうか。

 飛行機で3時間、船ですと上海から丸二日で大阪港に着くことのできる「祖国」ですが、いつでも帰れそうで、そうできない現実があります。犀星が、東京から富山へ思いを向けたように、この華南の街から、中部山岳の我が故郷に思いを馳せますと、犀星のように「悲しくうた・・・」えない私は、情感が乏しいのでしょうか。親族も知人も友人もいない生まれ故郷ですが、空の高さ、川の流れの清さ、空気の清々しさ、野菜や果物の香りや味が、目の前の現実のように感じられるのは不思議な感覚です。もう何年も何年も前の夏、生まれた家が、「破れ屋」のようになっていたのを訪ねたことがありました。産湯の水を汲んだ井戸も、竈(かまど)も、そこにはありませんでしたが、『ここで生まれた!』という感覚を呼び覚まされたのです。いえ、産んでくれた母、養ってくれた父を思い出したと言うべきでしょうか。

 犀星のように、「涙ぐむ」ことはありません。そこだけが私の故郷ではなく、「永遠の故郷」の存在を知った今の私にとっては、生まれ故郷は「一里塚」なのです。苦しみ悩み痛むことのない世界への「憧れ」が、今、心を満たしています。もちろん、懐かしいことは確かですが、私の「ふるさと」への思いは、未来に向けられているのです。そこには幼い日の「団欒の賑わい」が待っているように思えてならないのです。だから、今、微笑んでいる私なのです。

(写真は、雲海の向こうに見える「ふるさとの山」です)

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