さまざまのこと思ひ出す桜かな 芭蕉
この時期にしては珍しく、『寒い!』のです。30度以上の日も数日あったのに、この数日は、北の方の冷たい空気が流れ込んできているのでしょう。今朝、長男の嫁の iPHON から写真の送信がありました。「花見」の様子を撮ったものです。シートの上で、美味しそうなお弁当を広げ、寝そべって本を読み、春の陽を浴びて満足そうにしているスナップでした。もう関東は、満開なのです。それを見に、子どもたちを連れて出かけたのでしょうか。この日本人の「余裕」がいいですね。あくせくと働いて、何かと言われてきたのに、「花を愛でる心」が受け継がれているのです。この心を、「世界遺産」にしてもらいたいほどです。秋になると、「紅葉狩り」もしますから、自然の恵みを良くした日本列島に生まれ育った者の心に宿る、「美的鑑賞」は、世界に誇っていいのだと思います。
花の咲き誇る木の下で、ゴザを広げて家族や友人や同僚と、「桜」を楽しむのですから、外国人の目にしてみれば、不思議な感じがするのではないでしょうか。こちらに来てから、緑の多い土地柄で、次々に華南の花が咲き始めますが、こちらの方は、花の咲いた木の下には来ません。その美しさを、遠くから眺めているだけです。ところが、私たちは、手や目で「触れられる春」の下にやって来て、明日への英気を養うのです。子どもたちを育てた地方は、「水蜜桃」といったほうがいいでしょうか、桃の産地でした。桜が散った後に、桃の花が絨毯のように、一面に咲き始めるのです。でも、だれひとり「桃の花の木下」で、ゴザを広げようとしません。家内が一度、桃の花の下で食事をしたいといって、子どもたちを連れて出かけたことがありましたが、一度きりでした。
どうしても、「桜の花の木下」にやってくるのが日本人なのです。それでも、父に誘われて、花見をした記憶はないのです。激動の中を行きてき、四人の子育てに精一杯で、「風流」を楽しむゆとりはなかったのでしょう。母も、そんなことを言って外に連れだそうともしなかったようです。第一、花なんか女々しいと思っていた私は、きっと誘われたとしても、ついては行かなかったことでしょう。それなのに、今になりますと、桜の木の根本に座っていたいような思いに誘われるようになりました。
世の中に たえて桜の なかりせば
春の心は のどけからまし 在原業平
この和歌の意味は、「この世の中に、もし桜がなかったなら、春を過ごす人の心は、さぞかしのんびりと落ち着いたものであっただろう。」というそうです。さて「目黒川の桜」は、どれほどたわわかと思いが膨らんで来る、日本からの桜だよりを聞いた午後であります。
(写真上は、紹介のブログの主撮影の飯田市・中郷黒川の「しだれ桜」、下は、「そめいよしの」です)