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『新しい歌を主に歌え。主は、奇しいわざをなさった。その右の御手と、その聖なる御腕とが、主に勝利をもたらしたのだ。 (詩篇98篇1節)』
『僕のただ一つの努力は、いつか自分にできる限りのことで、パパを助けるとことだけです。僕を今も神学に引き留めているのも、そのことができると言う希望だけです。もしその希望がなければ、これ以上慰めのないことはありません。』
これは、南ドイツで長年牧会をされた、クリストフ・ブルムハルトが、後年語った言葉です。主への献身の理由、神学を学ぶ動機が、《パパ》だと告白したのです。よく、人の誕生を、〈ある星の下に生まれた〉といった表現があります。運命的な出来事のことですが、メットリンゲンという南ドイツの村で、牧師として仕える父ブルームハルトの子として、クリストフ・ブルームハルトは、1842年6月1日に生まれています。
その誕生の翌日に、教会員の若い姉妹のゴットリービングの精神錯乱問題、悪霊の蹂躙の様子を、村長や教会の長老たちが、その調査を開始したのです。クリストフが、どのような家庭で育ったのか、70歳の頃に、バートボルに転居し、その街の教会の聖日曜日の礼拝で、こうも語ったのでした。
『私の少年期の思い出の最大なものは、私が、父の家で少年として経験したものであった。メットリンゲン教会で、神の力の証明がはっきり示された後でも、父の家には非常な暗黒があり、あらゆる悪魔が跳梁(ちょうりょう)しており、山のような災いが侵入しようとしていた。しかも、事態が真に厳しく困難になった時には、いつも私たちは、私たちの讃美歌を歌い、神の国を賛美した。そして心の中で、「わが魂よ、主をほめまつれ」と言っていたそのようなことと共に、私は成長した。それ以外のことを、私は知らない。』
どんな家庭で、どのような親に育てられるかは、だれも選び取れません。私たちの4人の子どもたちも、地方の街の単立のキリスト教会に仕える私と家内を、親として育っています。光り輝く世界を見つつも、その光の影をも見て育ったのです。いわば、「教会の子」であったのです。様々な背景の方々がやって来ては、教会が形成されていたのですが、子どもたちの人間観察の眼は、けっこう鋭いものがあったのではないでしょうか。
必要があって、主のもとにやって来た人たちは、救いや解放を求めていました。私たちは、カウンセラーではありません。祈祷師でもありません。召された務めは、《神のことば》を、淡々と説くことでした。もちろん、祈りもしました。癒しを求め、解放を求めて祈ったのです。そして癒しがあり、解放がありました。
責められたり、無能呼ばわりされたり、成功している牧会者と比べられたりされました。あからさまに詰(なじ)られることもありました。きっとクリストフにも、そんなことがあったのでしょう。
このバートボルの街の教会の敷地の脇には、うず高く歩行補助の松葉杖や歩行器などが積まれていたのだそうです。ヨーロッパ中から、癒しや奇跡を認めて、人々がやって来たからです。クリストフが、癒しを祈り、解放を祈った結果でした。
ところが、奇跡だけを人びとが求め、主なる神さまを求めていなかったのです。〈宗教的エゴイズム〉に批判的になっていきます。地上の幸福を最大のこととする態度に対して、医学を補完する役割を、神に期待する態度、神を自分の召使と考える態度に対して、クリストフは厳しいことばを語ります。
『われわれの心が燃えるのは、神の栄光のためであって、われわれの肉のためではない。神の健やかさのためであって、われわれの健やかさにためではない!』とです。
それで、彼は、そういった祈りをや、やめてしまうのです。『みなさん、聖日曜日の朝の礼拝に、主のみことばを求めてやって来て、礼拝を守りなさい!』と講壇からから語って、奇跡や癒しの祈りをやめてしまいます。奇跡の周りに集まる人がいなくなり、主が、その日曜日に語る「主のことば」に、耳を傾けるようになっていきます。
『イエスは勝利者だ!』から、その勝利を賛美するのが、キリストの教会でありクリスチャンなのです。イエスさまの《義》、《栄光》、《尊厳》、《威光》、《力》を、礼拝や普段の生活の中で賛美し、高らかに歌うことが、私たちの信仰の喜びなのでしょう。
ですから、『♯ イエスは勝利をとられた 十字架の上で イエスは勝利をとられた 十字架の上で イエスは勝利を すでにとられた イエスは勝利を すでにとられた♭ 』と、《神の健やかさのために》、今朝も賛美するのです。
(“ Christian clip art “ のイラストです)
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