予報は小雨ですが降ってきません。でも曇天で、薄暗い午後です。今朝咲いたアサガオで、実に鮮やかな色で素敵です。土曜の午後、先ほどまでは、子どもの遊ぶ声がしていましたが。今は静かです。ここは住宅街、子どもと両親と年寄りが三代で住んでいる家族が多そうです。役割分担があって、まあ静かにみなさんが住んでいます。

子どもたちが戯れていて、時々叱る声がしてきます。朝早く、毎日ではないのですが、お年寄りの調子外れの”KTB(カラオケ)“が、大声で聞こえてきます。時間の感覚がない様で、ちょっとボケ気味かも知れません。色々の異国の生活です。

一昨日は、中国漢方医に、免疫向上の中薬を処方していただくために出掛け、昨日は、歯医者に、連れて行ってもらいました。水曜日の夕方、炒った大豆を出していただいて、美味しかったので、前歯で噛んだら、欠けてしまったのです。ビールの瓶の栓を、前歯であけるほど丈夫だったのに、その無茶のせいで前歯を治療したのが折れてしまいました。

以前、家内が日本語を教えた中学生の男の子のお父さんが歯医者で、実に丁寧に、仮の歯を入れてくれ、10日後に、本物を入れてくれます。ドイツ製の機器を使っていて、元医大の教授で、今はご自分で開業されています。日本の歯医者さんに遜色なく、かえって優れているかも知れません。

好い日曜日をお迎えください。

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ユーモアと死

 

 

これまであった人の中で、素敵な男性を挙げると、その一人は、上智大学の教授のアルフォンス・デーケンさんです(今も健在で名誉教授です)。受講生は親しみを込めて、先生を、“Mr”で呼んでいました。「death education/死の哲学」の研究者で、「死生学」を専門としておられ、興味津々の私は、二十数年前に、この方の講義を受講し、四ツ谷まで毎週通ったのです。

1932年生まれで、ドイツのナチス政権下に少年期を過ごしておられ、少年として、ナチスの政策に追随しない決心を表明して生きた方です。「死」を語りながら、「ユーモア」も、デーケン教授は、講義で触れておいででした。『ドイツの有名な定義に、[ユーモアとは『にもかかわらず』笑う]があります。苦しんでいるにもかかわらず、相手に対する思いやりとして、笑顔を示す。 これは心のいやし、夫婦関係・親子関係・患者さんおよびとても大切な人と の関係のいやしとなるのです。ですから、ユーモアは心のいやしに特に重要だ と思います。』

『死とユーモアは、とても深い関係があります。不思議に思われるかもしれませんが、生きることと死ぬことが表裏一体の関係であるように、私たちが人間らしく、より良く生きていくためにはユーモアは不可欠です。(中略)外国のホスピスへ行くと、多くの日本人はびっくりします。それは、どこも共通して、末期患者のケアにあたる人たちが実に明るく、ユーモアに満ちているからです。ホスピスで交わされる会話もまた、快い笑いに満ちています。お互いに今、ここで出会っている時間を、精一杯楽しもうという気持ちから、自然に出てくる喜びと感謝が、ユーモアのある楽しい雰囲気を生むのでしょう。』とおっしゃっています。

私が受講していた頃に、ガンを発症されたとおっしゃっていました。もう亡くなられたかと心配していましたが、今も講演活動をされて、お元気なことを知りました。また、講義の中で、「悲嘆のプロセス」の学びもありました。

  1. 精神的打撃と麻痺状態
  2. 否認(相手が亡くなったことを認めたくない)
  3. パニック
  4. い怒りと不当感(なぜ、私だけがこんな不幸に見舞われたのか? 等)
  5. 敵意とうらみ(なぜ、夫は私を見捨てて自殺したのか? 等
  6. 罪意識
  7. 空想形成・幻想
  8. 孤独感と抑うつ
  9. 精神的混乱とアパシー(無関心)
  10. あきらめ―受容
  11. 新しい希望―ユーモアと笑いの再発見
  12. 立ち直りの段階―新しいアイデンティティの誕生

素晴らしい人生の終わりに、まだ元気な今、その準備をすることは大切なことです。誰も一度は死ななければならないからです。若いから、死とは無縁だとは言えませんね。

(デーケン教授の出身地の「オルテンブルク」の城です)

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