口上

 

 

どこの街角だったか忘れましたが、どこからともなく商人の「口上(こうじょう)」が聞こえてきて、人が群れている箇所がありました(「口上商人(あきんど)=江戸時代、盛り場の路傍で、巧みな弁舌で人を集め、品物を売る商人。☜コトバンク)。もう見られなくなった街角風景ですが、「バナナの叩き売り」でした。次の様な語りでした。

『春よ三月 春雨に 弥生のお空に 桜散る 奥州仙台 伊達公が 何でバナちゃんに ほれなんだ バナちゃんの因縁   聞かそうか 生まれは台湾 台中の 阿里山麓の 片田舎 台湾娘に 見染められ ポーッと色気の さすうちに 国定忠治じゃ ないけれど 一房二房 もぎとられ 唐丸かごにと 詰められて 阿里山麓を 後にして ガタゴトお汽車に 揺すられて 着いた所が 基隆港 基隆港を 船出して 金波銀波の 波を越え 海原遠き 船の旅 艱難辛苦の 暁に ようやく着いたが 門司ミナト 門司は九州の 大都会 仲仕の声も 勇ましく エンヤラドッコイ かけ声で 問屋の室に 入れられて 夏は氷で冷やされて 冬は電気で うむされて 八〇何度の 高熱で 黄色くお色気 ついた頃 バナナ市場に 持ち出され 一房なんぼの たたき売り サアサア買った サア買った(「新・門司港駅ものがたり」から)』

このバナナなんか、相当重い病気をして、入院したり、床に伏す日にちが長くなければ食べられない代物でした。〈キング果物〉と言った高価だったでしょうか。申し訳ないことに、病気がちの私は、結構、あの時代、誰よりも多く、このバナナを食べたのだろうと思います。

映画でしか見たり、聞いたりしたことがありませんが、「ガマの油」を売る口上を聞いたことがありますし、あまり観ませんでしたが、「男はつらいよ~フーテンの寅さん~」の映画の中にも、その口上がありました。もう一つご紹介したいのは、「外郎売(ういろううり)」です。初めの部分だけですが、次の様です。

『拙者親方と申すは、お立ち會いの中に、御存知のお方も御座りましょうが、 御江戸を発って二十里上方、 相州小田原一色町をお過ぎなされて、 青物町を登りへおいでなさるれば、 欄乾橋虎屋藤衛門、 只今は剃髪致して、円斎となのりまする。 

元朝より大晦日まで、 お手に入れまする此の薬は、 昔ちんの国の唐人、 外郎という人、我が朝へ来たり、 帝へ参内の折から、 この薬を深く籠め置き、用ゆる時は一粒ずつ、 冠のすき間より取り出す。 

依ってその名を帝より、 とうちんこうと賜る。 即ち文字には、 「頂き、透く、香い」と書いて 「とうちんこう」と申す。 只今はこの薬、 殊の外世上に弘まり、方々に似看板を出し、 イヤ、小田原の、灰俵の、さん俵の、炭俵のと、 色々に申せども、 平仮名をもって「ういろう」と記せしは、 親方円斎ばかり。(後略)』

日本語を学んでいた学生が、声優になりたくて、これで練習したいとのことで、全部を収録したCDを上げたことがありました。彼は、どうも声優にはならなかった様ですが。この「口上」は、もう一度聞きたいし、観たい街角風景です。テレビや宣伝カーのない時代の産物で、情緒が溢れていたでしょうか。

(追熟前の台湾バナナです)

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