天の故郷

 

 

晩秋の陽を浴びている「セイヨウアブラナ」です[☞HP/里山を歩こう]。今頃から、来春にかけて咲く花だそうです。ここは、広島県東広島市黒瀬町の黒瀬川の岸です。こちらもめっきり晩秋、あんなに盛んに咲いていた、この小区の庭の花が落ちてしまって、冬籠りの準備でしょうか。ちょっと寂しくなった感じがいたします。

こちらで出会って、大変なお世話をいただいた方のお母様が、先週末にお亡くなりになりました。海岸の村にお見舞いしたり、この町の住む息子さんの家に来られた時にお訪ねし、一緒に食事などをしたご婦人です。

家内と好い関係があって、ずっと手を握ったり、さすって上げたりしていました。そうされると痛みがなくなると言われていたのを思い出します。病や思い煩いや長年のご苦労から解放され、天の故郷に凱旋されたのです。この金曜日に、告別式が、海岸の村で行われますので、泊りがけで出掛け、参列する予定です。

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かの日

 


 

子育て中、まだわが家の子どもたちが小学生の頃、自分を<不良>に見せていた子どもたちが、体育帽子のツバを後ろにかぶって、可愛らしく自己主張をしていました。わが家の前が通学路でしたから、向こうの方から白帽を、そういう風にかぶってやって来る子たちが、あどけない顔と服装のちぐはぐさとで、遅刻して登校する様子を面白く眺めていました。

去年は北中、今年は南西中、来年は南中と、年代わりで、<荒れた中学>を持ち回りで、市内の中学校がやっているかの様でした。それは、自分も「来た道」でした。当時の大人たちが、どんな思いで、遠巻きに変な風体の私を見ていたのでしょうか。今度は、観る側に立った私は、結構楽しんで、その様子を見ていました。

ある時、お母さんに連れられて、一人の中学生が、私の事務所にやって来たのです。和菓子の菓子折りを持ってでした。当時、わが家の近くの市営住宅に住んでいて、学校一の不良で、<番長>がいました。体が大きくて、いい面構えをしていたのです。この番長が、<タイマン(一対一の喧嘩))>だと言ってしていた相手が、この菓子折り持参の子でした。この子は、生徒会の会長で、勇気を持って、この番長と喧嘩をしていたのです。番長の子分たちが、取り巻いていました。

学校かクラスで何か不正があって、それを注意した生徒会長が、その相手からのタイマンを受けて立った様です。その中学校の正門を出て、右に行った所にあった空き地で、生徒会長は勇敢にも、その番長に挑んでいました。私と家内が、そこを通りかかったのです。劣勢で生徒会長がボコボコにされていました。そこに私が、『待ちねえ!』と割って入ったのです。

中学校の先生たちが二、三人、向こうの正門で、何もせずにウロウロしていました。『もうやめ、やめっ!』と私が言ったら、番長は殴る手を止めました。どうも誰かから止めてくれるのを待っていた雰囲気でした。喧嘩慣れした番長と喧嘩などしたことがないけど、勇敢にもタイマンに挑んだ生徒会長とでは話になりません。それで、『俺を知ってるか?」と聞くと、『あそこの事務所のおっちゃんずら!』と、番長が言っていました。

それで一件落着で、タイマンは終わったのです。その二日後だったでしょうか、お母さんが息子を連れて、喧嘩を止めてくれたお礼を言いに来られたのです。番長は音沙汰無しでした。もう30年以上も前のことになります。あの二人とも、そろそろお爺ちゃんの年齢でしょうか。どんな思いで、彼らは子どもを育て、今や孫たちに接していることでしょうか。

私が思い出しているのですから、きっと彼らも40年前の出来事を思い出しているのでしょう。<来た道>を思い返すことって、大切なことかも知れません。人生何かにつけ「かの日」があって、この日があるのですから。

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