恥はたくさんかいてきたのですが、ほとんど描いたことがないのが「絵」です。それでも観るのは好きで、美術館にはよく出掛けたのです。有名無名の画家が、精魂込めて描いた絵には、文学者とは違った語り掛けがあって興味深いものです。アメリカの北西部のポートランドに行った時に、「棟方志功展」をしていました。日本人画家の描いた絵を、アメリカの街で観るというのは、ちょっと不思議な感じがしましたが、素敵な絵がたくさんありました。
そんな私ですが、小学校の五年生ほどの時だったでしょうか、絵と工作で銅賞をとったことが、一度だけあって、街の展覧会に出展されたことがありました。その一回きりの賞は、私の生涯で得た「賞」の全てです。確かあの時は、いつもは集中力がなく、飽きっぽいのですが、一生懸命に描きましたし、何を作ったかは忘れたのですが、工作も粘り強く作ったのだけは覚えています。
あれで啓発されていたら、今や、孤高の画家で、枯れた絵などを描いていたかも知れません。最近、その素敵な、その「孤高の画家」を知りました。その画家は、ここに掲出した絵を描いた、「田中一村」です。栃木県に生まれ、美術学校(現在の芸大)に学びますが、すぐに中退して、画業を続けています。50歳になった時に、奄美大島に移住し、そこで、大島紬(つむぎ)の染色の仕事をしながら、創作を続けたのです。
この一村に、いくつかの創作の時代区分があるのですが、創作の晩期を、奄美大島で過ごしたのは、とても素敵です。南国の特異な絵を、日本画として描いたのです。69歳で亡くなっています。彼の記念館が、奄美大島にあり、知る人ぞ知ると言った画家です。今になって、こんな絵が描けたら素晴らしいなと思うのです。家内の叔父は、パリに留学したが学生でしたが、そこで不幸な経験をされて、筆を折ったそうです。
南の島に、五十を過ぎて出掛けて、そこを終の住処とされ、亡くなるまで、創作に明け暮れた人生というのは、自然界を書き留めて絵として描くことに、どれほど魅了されたかを知らされて、羨ましい限りです。一心に事に当たれる情熱が、この絵を見ても伝わってまいります。また、出かけたい所が増えた様です。
(上の絵は千葉に住んでいた時代のもの、下は奄美大島の時代のものです)
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