男の子は、小学生でも、気のゆるせる親友と思(おぼ)しき相手とは、互いに、『オレ、◯◯が好きだ!』と、意中の同級女子を告白をします。直接言えないからでしょうか。女子は、男子よりも成長が早くて、"おませ”ですから、心密かに、『わたし、✖️✖️ちゃん嫌い!」と思っていたのでしょう。同級生で、何人か、幼馴染の小学校の同級生と結婚しているのがいますから、小学校で、人生の伴侶との出会いだってあるのですね。
恋心って、3才くらいからもうあるのでしょうか。それ恋って言えるのでしょうか。『俺は恋文など女々(めめ)しいから書かない!』と決心を固くしていた私ですが、一度だけラブレターを書いて、好きな女(ひと)に渡したことがあります。ところが<実らぬ恋>で終わってしまいました。でも一度だけ書けたことは、勇気があったのだと自負したり、褒めたい気分なのです。
でも、よく"恋文もどき"はもらいました。一番集中していたのは、都内の女子高で教員をしていた時でした。男の極端に少ない世界ですから、どんな男性教師であっても、思春期真っ盛りの少女たちの恋心の対象になるのでしょう。下駄箱によく入っていましたし、プレゼントも入っていたり、追尾されたこともあります。猛アタックをかけてきた子もいました。その学校の敷地の中には、短大や技術専門学校もあって、そこの先生たちからのアプローチもありました。
はぐらかすのに大変でした。『こりゃダメだ!』と結婚を急いだのです。上の兄が紹介してくれたのが、今のワイフです。サイフではありません。私たち四人兄弟は、育った街の評判だった様で、彼女の上司が、われわれ兄弟のことを知っていて、私と結婚をすることを、彼女から報告されたら、『あの兄弟の一人とで大丈夫?』と聞かれたそうです。《大丈夫》だと思って結婚した彼女は、本当に《大丈夫》だったのでしょうか。
来春には、結婚は《四十八周年》になります。"ラブレターの女(ひと)"とは一緒になれなかったのですが、このワイフは、一緒に生活してきた"better half"なのです。彼女だって、《あの人と》と思った男(ひと)がいたことでしょう。でも、今振り返って見て、互いに《この人》こそが《天からの配剤》だったに違いありません。彼女にとって自分は"best"ではなかったのですが。英語のこの言い回しっていいですね。
もう何年も前になりますが、住んでいた小区の正門から出てきた、見ず知らずのご婦人が、入って行こうとしていた私たちを見て、「你们好夫婦nimenhaofuqi」,『あんたたちいい夫婦だよ!と言っていました。異国で助け合って生きてる老夫婦が、このご婦人には、そうそう見えたのでしょうか。
喧嘩(彼女が仕掛けたのはほんの僅か)もよくしましたし、口をきいてもらえないことも、家出だってされたほどです。とにかく欠点だらけ自分に忍耐してくれた年月を思い返して、ダイヤモンドかサファイヤのリングを、私は買って上げたいのです。ところが、彼女は指輪とかネックレスとか、ほんとうに好きではありません。私に経済的なゆとりのないのを知ってでもないのです。外側の飾りで飾らなくても、生きていられる自分を持っているのでしょう。
亡くなった、彼女の上のお兄さんが、30年ほど前に、夫との死別とか何か、人生にあったら、これを売って、子どもたちを連れて、サンパウロに来る様に、《宝石》をくれたそうです。全員の飛行機代ほどの価値があったのでしょう。そのお兄さんが召された今は、子どもたちも独立した今、行き様がないのです。でも彼女は、帰って行く故郷を持っています。そう信じて生きているわけです。もう何年、一緒にいられるのでしょうか。
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