これまであった人の中で、素敵な男性を挙げると、その一人は、上智大学の教授のアルフォンス・デーケンさんです(今も健在で名誉教授です)。受講生は親しみを込めて、先生を、“Mr”で呼んでいました。「death education/死の哲学」の研究者で、「死生学」を専門としておられ、興味津々の私は、二十数年前に、この方の講義を受講し、四ツ谷まで毎週通ったのです。
1932年生まれで、ドイツのナチス政権下に少年期を過ごしておられ、少年として、ナチスの政策に追随しない決心を表明して生きた方です。「死」を語りながら、「ユーモア」も、デーケン教授は、講義で触れておいででした。『ドイツの有名な定義に、[ユーモアとは『にもかかわらず』笑う]があります。苦しんでいるにもかかわらず、相手に対する思いやりとして、笑顔を示す。 これは心のいやし、夫婦関係・親子関係・患者さんおよびとても大切な人と の関係のいやしとなるのです。ですから、ユーモアは心のいやしに特に重要だ と思います。』
『死とユーモアは、とても深い関係があります。不思議に思われるかもしれませんが、生きることと死ぬことが表裏一体の関係であるように、私たちが人間らしく、より良く生きていくためにはユーモアは不可欠です。(中略)外国のホスピスへ行くと、多くの日本人はびっくりします。それは、どこも共通して、末期患者のケアにあたる人たちが実に明るく、ユーモアに満ちているからです。ホスピスで交わされる会話もまた、快い笑いに満ちています。お互いに今、ここで出会っている時間を、精一杯楽しもうという気持ちから、自然に出てくる喜びと感謝が、ユーモアのある楽しい雰囲気を生むのでしょう。』とおっしゃっています。
私が受講していた頃に、ガンを発症されたとおっしゃっていました。もう亡くなられたかと心配していましたが、今も講演活動をされて、お元気なことを知りました。また、講義の中で、「悲嘆のプロセス」の学びもありました。
- 精神的打撃と麻痺状態
- 否認(相手が亡くなったことを認めたくない)
- パニック
- い怒りと不当感(なぜ、私だけがこんな不幸に見舞われたのか? 等)
- 敵意とうらみ(なぜ、夫は私を見捨てて自殺したのか? 等
- 罪意識
- 空想形成・幻想
- 孤独感と抑うつ
- 精神的混乱とアパシー(無関心)
- あきらめ―受容
- 新しい希望―ユーモアと笑いの再発見
- 立ち直りの段階―新しいアイデンティティの誕生
素晴らしい人生の終わりに、まだ元気な今、その準備をすることは大切なことです。誰も一度は死ななければならないからです。若いから、死とは無縁だとは言えませんね。
(デーケン教授の出身地の「オルテンブルク」の城です)
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