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この歌は、東北秋田県版の「四季の歌」と言えるのでしょう。秋田に伝わる民謡に、岡本敏明が、「合唱曲」として作曲したのだそうです。門前の八百屋さんに店頭で「泥鰌(どじょう)」が売られていて思い出しました。
1 はるになれば しがこもとけて
どじょっこだの ふなっこだの
よるがあけたと おもうべな
2 なつになれば わらしこおよぎ
どじょっこだの ふなっこだの
おにっこきたなと おもうべな
3 あきになれば このはこおちて
どじょっこだの ふなっこだの
ふねっこきたなと おもうべな
4 ふゆになれば しがこもはって
どじょっこだの ふなっこだの
てんじょこはったと おもうべな
父は秋田で学生時代を過ごしたと言っていましたが、この歌の「しがこ(氷麗<つらら>)」、「わらしこ(子ども)」の意味が分かっていたのでしょうか。「秋田弁」は、事物に「こ」をつける特徴があって、「鬼」の様な怖い想像上の動物にもつけてしまい、何やら可愛くなってしまうのです。また、この県下で降る「雪」は、家を押しつぶすほどに降って「大敵」であったのに、怖さをはねのけて生きてきた「強さ」で、押し返そうとして、「こ」を加えてしまうのでしょうか。
私のコレクションは「帽子」なのです。だいぶ古くなって処分してしまった物が多くありますが、残った物の中に、中国の東北地方の酷寒の地の街中で、私のために買ってくれた「防寒帽子」があります。毛のついた耳を覆う様な被り物です。ここ亜熱帯地方の街では、この帽子を被るほど寒くなりませんので、《宝の持ち腐れ》になっております。でも知らない秋田の寒い冬には、似合いそうです。
「泥鰌」と言えば、東京では「駒形」が有名で、父が、『準、泥鰌鍋を喰いに行こうな!』を約束不履行のまま他界したのを思い出してしまいます。浅草あたりから、そこへ行って、この様な寒い時季に、フウフウやって父は食べたことがあったのでしょう。この泥鰌には、削(そ)いだ「牛蒡(ごぼう)」が合っていて、卵を落として食べるのです。こちらでは、どうやって食べているのでしょうか。
そうそう、出雲にいた頃の父が、よく「どじょうすくい」をするのが好きだったそうです。独特の竹の笊(ざる)を持って、小川の中に入って、泥の中に隠れている泥鰌を、泥ごとすくい上げて、水で笊の泥を落として捕まえるのだそうです。よく父に誘われて、一緒にした方が、私がそこを訪ねた時に、その思い出を語ってくれたことがありました。秋田では「お父さん」を、おっかなくても「おとうこ」と言うのでしょうか。
この「寒さ」も、今がピークなのでしょう。このところ、ちょっと温(ぬく)く感じられる日が、ここではあります。日本は、今日あたりから、強烈な寒波襲来だそうですが、故国の無事を心から願う朝です。