喜び

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「干支(えと)」とは、"ウイキペディアによりますと、『中国を初めとしてアジアの漢字文化圏において、年・月・日・時間や方位、角度、ことがらの順序を表すのにも用いられ、陰陽五行説とも結び付いて様々な卜占にも応用された。古くは十日十二辰、十母十二子とも呼称した。起源は商(殷)代の中国に遡る。日・月・年のそれぞれに充てられ、60日(ほぼ2か月)、60か月(ほぼ太陰太陽暦5年)、60年などをあらわす。干は幹・肝と、支は枝・肢と同源であるという。日本、朝鮮半島、ベトナム、西はロシア、東欧などに伝わった。』とあります。

よく聞いたのが、父が徴兵検査で、《甲種合格(こうしゅごうかく)》だったと言う<甲>で、一番を意味していたことでした。その後に<乙(おつ)>、<丙(へい)>、<丁(てい)>と続き、十段階があります。自分の生まれ年が、「申年(さるどし)」だと言うことで「猿」で、弟は「戌年(いぬ)」で「犬」なのだそうです。自分が猿に似ているなどとは一度も思ったこともありませんので、全くという程、意識しないで生きてきました。

「人」は、「人」として生まれ、生きているのであって、微量の物質が、偶然の積み重ねで変化し進化して「人」となった、と学校で教わりましたが、私のこの単純な頭でも、それは納得できないでおります。この町の北にも動物園があり、猿が檻の中にいます。よく見ますが、これが自分の祖先であるのだなどと思うことなどありません。はるかに緻密で高等な自分を、猿と同列に置く事ができないのです。科学者の頭の中の「仮説」によって、人の成り立ちの答えを、そう出しているのです。

そんな事で、私たちには四人の子ども、四人の孫があるのですが、彼らの生まれた年の「干支」を知らないのです。こちらにきて、学生のみなさんも、自分が、<何年生まれ>だとか言っているのを聞いた事がありません。日本人の様な拘りが、みなさんにはない様に 感じています。

長く住んだ町に隣人の長男が、『息子は、<◯◯年の虎>なので、気性が荒くて、嫁の来てがない!』と言っていたのを聞いた事があります。易や暦で、自分の息子の運勢を占って、一喜一憂する人生など、したくないものだと思ったのです。お父さんからもお母さんからも、双方から、その事を聞いたのです。自分の息子の問題を、生まれた年のせいにしてしまうのは、勿体無いなと思った次第です。

そんな事にとらわれずに、生かされてきた事を顧み、三百六十五日を、感謝と反省と、そして喜びで生きて行きたいものです。新しい日を喜んで迎え、その一日を感謝で終えたら、生きる意味が増してくるのです。そして、また迎える日に期待しながら、床に着くのが好のです。

(江戸の町の「たこあげ」の風景です)

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