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正月の三日間を「三が日」と言います。ある方は、講演内容を三点にまとめて話す"3poits messege" 、夜空を見上げて見る刃物のような「三日月」、興味津々でし始めるのですが飽きっぽい 「三日坊主」、辛抱強く事をし続けるのを「石の上にも三年」、信長を討ったのはよかったのですが明智光秀の「三日天下」、人を慕わしく待ち続ける「一日三秋」、そんな「三」にまつわる言葉や諺が結構多いのです。

教育界で言われてきたのが、幼い頃の性格は、年をとっても変わらないということで、幼児期に受けた感化が一生にわたるのだと言う「三つ子の魂百までも」があります。また、教えを乞う先生と横に並んで歩くことなど失礼千万、その敬意を、三尺ほど下がって付き従う姿勢を表す「三尺下がって師の影を踏まず」です。中国の社会では、教育者は絶対的な尊敬を受けています。その証拠に「教師節」という日が定めれれていて、先生に感謝を示すのです。

ここ中国で有名なのは、『中国の三国時代、蜀の劉備が無位無冠の諸葛孔明を軍事として迎えるために、礼を尽くしてその草庵を三度も訪ねたという故事に基づく』礼を尽くす事を言う「三顧の礼 (さんこのれい)」でしょうか。日本人は、中国から 「礼」も学んで、それを実行してきています。中学に入った当初、上級生には敬意を表すために脱帽し、『おはようございます!』、『ありがとうございました!』、『さようなら!』』と言って頭を下げて礼をしていました。

あの有名な儒家の孟子の家族は、初めに「墓場」の近くに住んでいました。それで子の孟子は<葬式遊び>をしてばかりいるので「市場」の近くに引っ越します。すると、孟子は<商いの遊び>ばかりし始めます。住んでいる環境に息子が影響されやすい事を知ったお母さんは、今度は「学校」の近くに引っ越したのです。そうすると孟子は<礼儀作法の真似ごと>をするようになり、その地にで育てることにした「孟母三遷の教え」があります。

中国語を学んでいた時に、「故事成語」の授業があって、そこで学んだのが、法令や決まりをめまぐるしく変える「朝三暮四」でした。『宋の国に狙公という人がいた。猿を可愛がって群れをなすほど養っていた。サルの気持ちを理解することができ、猿も同様に主人の心をつかんでいた。自分の家族の食べ物を減らしてまで、猿の食欲を充たしていた。ところが急に貧しくなったので、猿に与える餌の茅(どんぐり)を減らすことにした。猿たちが自分になつかなくなってしまうのではないかと心配したので、まず猿たちを誑(たぶら)かして言った。「お前たちにどんぐりをやるのに、朝は三つで暮は四つにする。足りるか」すると猿たちは皆起ち上がって怒りだした。そこで狙公は急に言い変えて、「それじゃ、朝は四つで暮は三つにしよう。足りるか」と言うと、猿たちは皆平伏して喜んだ。』という話からの成語です。

女性の行動を表した「女三人寄れば姦(かしま)しい」など、日本も中国も「三」で纏(まと)めたり、括(くく)ったりするのが好きなのでしょうか。「三強」、「三哲」、「三景」とか、「三大◯◯」と言うのです。そういえば表彰台も、大体が「三台」です。一度、登壇してみたいなと思いながら生きてきましたが、叶えられずじまいです。もう今年も、三日が過ぎてしまい、今日は、普段の日に戻っているのでほっとしています。

(AIRDOによる世界三大夕日の「釧路港」です)
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