平和

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大晦日、映画を観ました。台湾から来て、この街で働いておられるご婦人が、『とても好い映画があるから観たいらいいですよ!』と、一緒に、「日本蕎麦」と「台湾風うどん」の"ダブル麺"の「年越し蕎麦」で、 夕食を一緒にした後に、iPadを操作して観られるようにしてくれたのです。

妹尾河童(せのおかっぱ)が、自分の自伝として書き上げた「少年H」を、2013年に映画化した作品でした。腕白(ヤンチャ)な小学生の主人公「肇(はじめ/Hajimeの<H>で<少年H>)」と妹、その両親が、戦争色が徐々に濃くなって、閉塞して行くような世相の神戸の街で過ごす様子が描かれています。

Hは絵が上手で、御多分に洩れず、戦時下の少年たちの憧れは、帝国海軍の「軍艦」で、それを描くところから映画が始まります。お父さんは、洋服の仕立てや寸法直しを生業(なりわい)にし、家族を養っています。お得意さんは、外人居留地の外人さんたちで、採寸にHを誘って、お父さんは出かけるのです。外人さんたちも、徐々に帰国して行き、お得意さんは減少して行きます。リトアニアで、杉浦千畝領事代理が発行した通過ビザで、敦賀に上陸したユダヤ人たちが、神戸で船の出航を持っている間、お父さんは、彼らの服の修理を無料でしていました

日本の社会が日支事変から太平洋戦争に拡大されていくのですが、穏やかなお父さんと仏教徒からの回心者の信仰深いお母さんとの信仰は、続けるのが難しくなる時代でもありました。でも両親とも、変節をせずに、信念を曲げずに、あの時代を生きたのです。反米色が強くなっていく社会の中で、アメリカ人の宣教師との関わり、帰国した彼らから絵葉書をもらったりしたことで、Hは、同級生から揶揄されたり、「ヤソ」と机に落書きされたりします。でも反撃せずに耐えたのです。

送られてきた絵葉書に印刷されていた、ニューヨークの”エンパイヤステイトビル"の大きさに度肝を抜かれ、そんなアメリカの凄さを友だちに話した事が、悪意にとられたことでいじめを受けたりします。そこには、<狭量な日本人の心>が描かれていたり、共産主義者への弾圧、しまいには、外国人をお得意さんとしていたお父さんは、スパイの嫌疑をかけられて、警察に拘留されて、拷問や殴打のめに遭ったりします。負け戦で、更に社会が窒息化し、猜疑心(さいぎしん)ばかりが大きくなっていくのです。

お父さんは、拷問を受けても、常に穏やかでした。それが物足りない息子でした。特高の警察官に放り投げられた時に、額から血を流すほどの怪我しても、お父さんは怒ったりしないで、常に冷静なのです。そういうお父さんを受け入れるのに、もがき、ながら、Hの心は揺れて行きます。更に戦時色、敗戦色が強まり、ついに神戸の街も、米軍機の投下する焼夷弾(しょういだん)の攻撃を受けて、焼け落ちてしまいます。

お父さんの<命>であるミシンを燃え盛る家から、お母さんと二人で持ち出すくだりが、<父思い>の少年だった事が印象的に描かれていました。終戦の詔勅(しょうちょく)で、戦争が終わった後、運び切れずに放置されていた、父愛用のミシンを、お父さんは瓦礫の中に見つけ出し、修理します。そして、使えるようにして、お父さんは、《やり直し宣言》をして、戦後を、ミシンを踏みながら、家族を養って生きて行くのです。

疎開先から帰ってきた妹が、大事に持ち帰ってきた米を炊いたご飯で、飢えた隣家の子どもたちに分けてしまう、そんなお母さんの行動に、Hは不満ですが、お父さんはそう言ったお母さんを誇っているように見えたのです。不自由な仲を、助け合う心を忘れなかった事は、お母さんの心の中に宿り、それを堅持してきた《潔さ(いさぎよさ)》が印象的でした。

1940年に、東京で開催予定のオリンピックが、戦争で開催不能になりました。しかし、戦後の復興の中、1964年にオリンピックが開催されました。そして、2020年、オリンピックが、再び東京で開催されようとしています。Hが少年期を過ごしたような時代が、また来るのでしょうか。

2018年の年頭に、ただ平和を願う思いで、心はいっぱいです。たとえ戦争が起きても、《心の平和》だけは持ち続けていたいと決心しております。『地に平和があるように!』

(平和を象徴する「ストック」です)
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