私たちの子どもの頃、大人にも子どもにも「夢」を与えてくれたのが、読売巨人軍の一塁手、背番号「16」をつけた「川上哲治」でした。この憧れの名ヒッターが、この10月28日に亡くなられたと、ニュースが報じていました。
父が、戦前からの巨人軍贔屓(びいき)でしたので、兄たちも同じく、このチームのフアンでした。まだ後楽園で試合が行われていた頃に、水道橋の駅から降りて、兄たちに連れて行かれて観戦したことがありました。今の様にテレビが普及していない時代でしたから、押すな押すなの超満員だったのです。その人の波に圧倒されてしまいました。
あの時代、「紅梅」とか「カバヤ」とか言う菓子の会社があって、箱入りの飴を製造していました。駄菓子屋の店頭に並べられてあって、小遣いをもらっては、買いに走って行ったものです。「森永」とか「明治」と比べると1ランク下のメーカーで、美味しくなかったのですが、その箱の中に、相撲の力士や野球選手の「カード」が入っていて、そのカード欲しさに買っていました。その中で、一番人気は、「川上哲治」だったのです。このカードを、「飛ばしっこ」や、手の平で「起こしっこ」をして、ゲームをしました。空き缶の中に、ずいぶんあったのですが、どこへ消えてしまったのでしょうか。
川上哲治は、「赤バット」を使っていた時期があったので有名でした。私はしなかったのですが、すぐ上の兄は、甲子園を目指した野球小僧でした。兄の憧れも、巨人軍の選手で、やはり川上だったのだろうと思います。そんなことを思っている私も、時々、小走りをするのですが、やはり走るのがしんどくなっています。キャッチボールを教えてくれたり、グローブやバットを買ってくれた父も逝き、父の贔屓の巨人軍の名選手・川上哲治も逝きました。父が亡くなった同じ病院で、川上哲治も召されたのかも知れません。一日一日、一人一人、やはり「昭和」が遠のいていくのを感じております。やはり寂しさを禁じ得ません。
(航空写真は、川上哲治が活躍した頃の「後楽園球場」です)