赤バット

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私たちの子どもの頃、大人にも子どもにも「夢」を与えてくれたのが、読売巨人軍の一塁手、背番号「16」をつけた「川上哲治」でした。この憧れの名ヒッターが、この10月28日に亡くなられたと、ニュースが報じていました。

父が、戦前からの巨人軍贔屓(びいき)でしたので、兄たちも同じく、このチームのフアンでした。まだ後楽園で試合が行われていた頃に、水道橋の駅から降りて、兄たちに連れて行かれて観戦したことがありました。今の様にテレビが普及していない時代でしたから、押すな押すなの超満員だったのです。その人の波に圧倒されてしまいました。

あの時代、「紅梅」とか「カバヤ」とか言う菓子の会社があって、箱入りの飴を製造していました。駄菓子屋の店頭に並べられてあって、小遣いをもらっては、買いに走って行ったものです。「森永」とか「明治」と比べると1ランク下のメーカーで、美味しくなかったのですが、その箱の中に、相撲の力士や野球選手の「カード」が入っていて、そのカード欲しさに買っていました。その中で、一番人気は、「川上哲治」だったのです。このカードを、「飛ばしっこ」や、手の平で「起こしっこ」をして、ゲームをしました。空き缶の中に、ずいぶんあったのですが、どこへ消えてしまったのでしょうか。

川上哲治は、「赤バット」を使っていた時期があったので有名でした。私はしなかったのですが、すぐ上の兄は、甲子園を目指した野球小僧でした。兄の憧れも、巨人軍の選手で、やはり川上だったのだろうと思います。そんなことを思っている私も、時々、小走りをするのですが、やはり走るのがしんどくなっています。キャッチボールを教えてくれたり、グローブやバットを買ってくれた父も逝き、父の贔屓の巨人軍の名選手・川上哲治も逝きました。父が亡くなった同じ病院で、川上哲治も召されたのかも知れません。一日一日、一人一人、やはり「昭和」が遠のいていくのを感じております。やはり寂しさを禁じ得ません。

(航空写真は、川上哲治が活躍した頃の「後楽園球場」です)

秋深し

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先日、いつものバス停で降りて、大通りに面した門から、アパート群の敷地の中に入って、我が家に向かって歩いていました。建物の角を曲がったところで、聞き覚えのある音楽が聞こえてきたのです。「ちいさい秋見付けた・・・」の曲ではありませんか。まさか、日本の童謡が聞こえるとは思いもよりませんから、驚いたり、嬉しかったりだったのです。立ち続けの授業を終えての帰りでしたから、日本の歌にねぎらわれたようでした。木々は緑の葉をつけ、日差しも暑さを感じ、時々汗ばむような、こちらの秋なのです。それでも吹く風に、なんとなく秋が感じられ、朝晩は、「冷やっ」とした感覚はあります。その曲を聞いた瞬間、日本にいるような錯覚に襲われてしまいました。こう言った歌を知っておられる方がいて、時季に叶ってネットから聞いているのでしょうか。この辺には日本人がいるはずがないのです。

今、PCに向かっているのですが、台所の開けた窓から、正門の隣にある「幼稚園」から音楽が聞こえてきます。この連続する音楽で、園児が踊っているのです。その定番が、「ちびまる子ちゃん」のテーマミュージックなのです。上海万博でも、谷村新司が、「昴(すばる)」を堂々と歌ってもいました。もう少しさかのぼりますと、「北国に春」が、この国で大流行していて、多くの人が、今でも口ずさんでおいでです。「好いもの」には、国境がないのでしょうか。過去のいきさつを度返しして、受け容れる度量の大きさや広さを、こちらのみなさんに感じるのです。

私には、「中国の歌」が、日本で歌われていた記憶がないのです。「蘇州夜曲」や「上海ブルース」などは知っていますが、これらは「曲名」だけで、日本人が作った歌です。それで、私は、この街のみなさんが、自転車をこぎながらでも、店の前にスピーカーを置いて流していても、よく歌っている歌を覚えたのです。大陸の歌ではなく、台湾の歌手が歌って、以前大流行した歌なのだそうです。一緒に教え子と歌ったこともあります。「愛拚才会赢(aipincaihuiying)」という歌で、恋愛の歌のようです。実は、これは「台湾語(福建省の南の<闽南话>の方言と同じです)」で歌われている歌ですから、耳で聞いて覚えたのです。授業の時に、一度だけですが歌いましたら、拍手喝采を受けたほどでした。日本の「歌謡曲」、「演歌」と同じで、聞きやすく、歌いやすくもあるのです。

バスの運転手も日本の歌を口笛で吹いていますし、文化的にも中国と日本の距離は、至近にあることになります。山の中にある「森林公園」に連れて行っていただいた時も、信州や上州の山奥に分け入ったと同じ雰囲気がして、枯葉を踏みしめた感触も、立ち上る枯葉の匂いも、みんな「懐かしい!」思いがしたほどでした。自然の植生が似ていて、同じ米の飯を食べ、特に華南では「海鮮料理」が好まれ、同じように煮込んだ「うどん」もあるほどです。油分が少なかったら、全く同じではないでしょうか。

もう路傍では、「焼き芋」が売られています。ドラム缶を加工したものに車輪をつけて、引き売りをしているのです。あの独特な匂いが鼻をくすぐります。やはり、ここも秋深しで好いのでしょう。もう、明日からは「十一月」ですから。

だから

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最近、美味しい「フレッシュジュース」を飲んでいます。私たちの住むアパート群の真正面にある「モール」の一郭にある店で、10元払って飲んでいるのです。「注文ナンバープレート」を持って、二階に上がり、階下の作業場が一目瞭然に見下ろせる席に陣取ります。商業用の大きめなジューサーに、「林檎」と「人参」を手ごろに刻んで入れて作っているのです。それは、まさに100%本物の生ジュースです。水を加えたり、瓶詰めのジュースを足しているような仕草は見られません。実に美味しいのです!

喫茶店ではないのですが、ちょっと寛げる「日式レストラン」です。お好み焼き、たこ焼き、味噌ラーメン、唐揚げなどを注文できます。家内と初めて入った時、「日本人吗?」と聞いてきたので、「对(そうです)」と答えたら、店長が出て来て日本語で話しかけてきました。沖縄と東京で修行をして帰国して、店を開いたのだそうです。ジュースの他に、お好み焼きとたこ焼きを頼みましたら、しばらくたってから、「唐揚げ」が運ばれてきました。「这是什么?(これなあに?)」と聞いたら、「送您们(サーヴィスです)!」と答えたのです。初めての客なのに、こんなサーヴィスをしてもらたのは初めてのことでした。それで、「ありがとうございます!」と感謝したわけです。

一昨日は一人で、この店に行って、味噌ラーメンと「りんご&人参ジュース」を頼んだのです。再び、「生ジュース」は美味しかったのです。その時、一人の若い方が、日本語で話しかけてきました。実に流暢だと思ったら、「淡路島出身です!」と言っていました。

そんな日を送っている昨今、関西の有名ホテルで、料理の偽装なのか、不当表示なのか、ネットのニュースで話題になっています。その「フレッシュジュース」が、瓶詰めジュースだったことも発覚して、中国の「小吃店」の方が、はるかに正直な営業をしていることが分かった次第です。この問題の根は深いと思います。寿司屋のネタでも、米でも、大豆でも、日本も「偽装天国」なのでしょう。「儲けは、正直だと上がらない!」という商業理念があるのでしょうか。商人が、三割ほど掛けた料金は、正当なのではないでしょうか。人件費、サーヴィス料、原価の償却費用、運送費、ロスなどを計算して、価格設定するわけでしょう。もし厳選された「本物」だったら、少々高くとも、お客さんは満足して支払うのです。私だって払います。でも、「不正直」な裏切りはいけません。

この街に、美味しい「水餃子」の店があります。バスを乗り換えなければ行けません。それに代金も少々高いのです。諸物価高騰のみぎり、是とすべきでしょうか。でも、いつ行っても味が変わらないのです。「誇りを持って作っている!」からです。だから、いつも小さな店は満員なのです。

(写真は、「りんご」です)

勘違い

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小学校の時に、「賞状」をもらったことがあります。街の文化祭に、絵と工作とが出展された時でした。優等賞も皆勤賞もらったことはありませんし、これからももらうなどありませんから、生涯ただ二枚の賞状です。「銅賞」でしたから、第三位で佳作の一つ上です。そんな賞状も、なんども引越しをしているうちになくなってしまいました。

そこに「右者」とありました。これを、多くの人は、「みぎのもの」と読むのです。昔の校長や教育長は、「みぎは」と、正しく読んだのですが、「誤読」されやすい漢字の一例です。国語学者の大野晋が、国語力や漢字力の低下について、ご自分の経験を通して、「私の師である橋本進吉教授に比べると、私の・・・」、「橋本先生もその師に比べて・・・」と述べています。年々低下傾向にあることになります。作家で戯曲家の井上ひさしが、「難読漢字」に触れた記事を書いています。「読めない漢字が私にも多くあるのです!」と謙遜に言っています。そうしますと、幼稚園の頃から漢字だけで養育を受けている中国のみなさんの「漢字能力」が、いかに高いかということに感心してしまうのです。

「誤用」も多くあるそうです。「辞書の日」である10月16日(米国の辞書編修者、ノア・ウェブスターの誕生日/1758年)を記念して、「間違った意味で使われる言葉ランキング」と「言い間違いされる言葉ランキング」を発表しています(ウエブスターは、 英語辞書で最も有名で高く評価されている辞書の編集者で,「アメリカの学問と教育の父」と言われています)。例えば、
「ハッカー」➡「インターネットなどの知識が豊富で詳しい人」という意味です。
「確信犯」➡「信念に基づいて『正しいことだ』と思い込んでする犯罪」のことです。
「破天荒」➡「だれもなしえなかったをすること」のことです。
「姑息」➡「一時しのぎ」のことです。
「失笑する」➡「思わず笑い出す」ことです。
などがあります。

私の母が勘違いして、訪ねてきたおじさんと話をしていたのを、父が聞いていて、よく、その話の間違いの言葉、「スクラム、スクラム!」と言っては母を困らせていたことがありました。「そうですね!」と相槌をうっていたおじさんも、よく分かっていなかったようです。「また、そんなことを、お父さんは言って!」と、母がやり返していました。いたずらな父でした。その父が、第一版の「広辞苑」を買ってくれました。この辞書を引いては、言葉を覚えたのです。

(写真は、大野晋の編纂した角川書店刊の「類語新辞典」です)

「普通の人」

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「ミーハー」を、yahooの辞書で調べると、「[名・形動]《「みいちゃんはあちゃん」の略。ふつう「ミーハー」と書く》軽薄な、また、流行に左右されやすいこと。また、その人や、そのさま。「―な発想」「―向けの商品」」とあります。しかし、「ミーちゃん」は、女性の好物の「あんみつ」のことであり、「ハーちゃん」は、女性に圧倒的な人気のあった「林長二郎」、後の長谷川一夫のことだそうです。随分な人気だったそうで、父よりも二歳上でした。 普通の男性なのですが、作り上げられた「憧れのスター」は、いつの世にもいるようです。

自分にも、自分の配偶者にもできないようなことを、銀幕やテレビの中で代わって演じてくれる「俳優」や「歌手」さらには「スポーツ選手」に、とくに女性は血道を上げるのでしょうか。以前、大挙して「韓流ドラマ」の俳優を訪ねて旅行のツアーが行われていたことがあったのですが、「アレ!アレ!」と言った思いで眺めていました。平凡な家事に明け暮れている主婦の心の中が見えてきそうでした。裏返すと、夫と違って美男子で仕草も洗練されている姿を、スクリーンやテレビの中に眺めて、ついている「ため息」が聞こえてきそうでした。

そういえば男性も同じです。級友に「高倉健フアン」がいて、彼に誘われて、新宿だったでしょうか、映画館に連れて行かれたことがありました。昔の剣劇、時代劇の昭和バージョンと言えるのでしょうか、「アウトローの世界」の活劇でした。チョンマゲををつけていない時代劇です。二十歳前後の私たちと同世代、おじさんたちも大勢いたでしょうか、男のムンムンとした息が溢れている映画館でした。普通に生きている学生やサラリーマンにとっては、足を踏み入れられない任侠の別世界だから、そこに距離があるからこそ、日常性を超えた世界を求めているのだと思わされたのです。映画がはねて、ゾロゾロと出てくる男たちは、みんな「健さん」でした。「出来得ないことの代役」を俳優が演じてくれるので、いつの時代もスターが消えては出てくるのです。

「娯楽」は、yahooの辞書に、「[名](スル)仕事や勉学の余暇にする遊びや楽しみ。また、楽しませること。「―施設一つない山間の地」「―映画」「装飾は人の心目を―し」〈逍遥・小説神髄〉」とあります。昔は、踊ったり歌ったり、または人の踊りや歌うのを見聞きすることが、明日の平凡な生活を生かして行く力だったのでしょうか。年中行事の「正月」や「桃の節句」や「夏祭り」や「秋祭り」などは、庶民にとって待ち遠しかったのです。日常性に大きな変化をもたらしたからでしょう。ところが現代では、「もうすぐお正月だ!」と言った待望感がなくなってしまい、毎日が娯楽している時代です。好いのか悪いのか・・・・。

息子さんのことでインタビュウーを受けていた有名人の顔が、「普通の人の顔」だったのを見て、テレビの中の顔が、「営業用の顔」だったことを知らされて、今更という感がしました。有名人も日常は「普通の人」なのです。でも、同じ顔で、何時でも生きていける幸せもあるのだと気付かされた秋でもあります。

(写真は、私の好物「あんみつ」です)

街のおじさん

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しっかりネクタイをしめて出勤、授業が終わって、のどの周りに窮屈さを感じたので(と言ってもネクタイが嫌いなだけした)、ネクタイを外して、ワイシャツのむねのポケットに入れたのです。クラス担任もしていませんでしたので、「これで終わった!」と一段落したからでした。それで職員室に戻って机に座っていた時に、私の真正面にいた教頭に、「先生、ネクタイをするか、何処かにおいた方がいいですね。」と注意を受けました。映画俳優でもありませんし、職場に似つかわしくない服装に見えたからです。「はい!」と頷いた私は、机の引き出しにネクタイをしまったのです。弱冠25歳の時でした。と言っても、国会議員に立候補できる立派な大人の年齢でした。背広に白のワイシャツ、それに地味なネクタイは、教壇に立つ時の模範的な服装でした。

生意気な私は、人生の先輩たち、いわゆる「街のおじさんたち」から、よく「小言」や「注意」を言われたのです。どちらが上か分からないのですが、弟にもです。今になって、その頃のことを思い返すと、生活にけじめがつかないで、だらしなかったのはともかく、「言われ易いタイプ」の人間だったのでしょうか。今でも、慌てて何かをすると、「慢慢点儿(マンマンデアル)」と言われるのです。つまり、「ゆっくり!」との意味です。4歳の私に、母が言っていたのと同じ言葉がかけられてくるのです。すこしも成長も、改善もしていないので、嫌になってしまうことがあります。だから、家内からも少々セーブしながら、言われることがあります。これって、どうも一生のことになりそうです。

現代の青年たちは、我々の時代とは忠告や指示を受けた時の反応に仕方が違うのです。反抗的で、ある時は攻撃的になる傾向があるようです。以前、名古屋の南山大学の林雅代という先生が、NHKのラジオで、こんなことを言っていました。電車に乗っていても、道を歩いていても、若者たちの言動に対して、人生の先輩として大人の私たちが忠告をしたり、叱責しなければならない時には、どう言ったらいいかということことです。一つは、「感情的に言ってはいけない!」、二つは、「注意しない!」ことだそうです。それで、どう言うかですが、三つは、「事実だけを言う!」のだそうです。どうも今日日の若者たちは「幼児的な反応」だったり、「動物的な反応」をするようです。

あの頃に比べて、私が少し改善されているとしたら、あのおじさんたちのお蔭に違いありません。「よその子のことだから、ほっとけば好い!」と無関心を装わないで、敢えて「小言」を言ってくれたからです。「見て見ぬ振りをする!」、こんな傾向にある現代社会で、勇気を持って、自分の子や孫に言うように、「事実」を語れる大人でありたいと思うのです。

(写真は、中国の「霞浦」です)

極意

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電動自転車が、人と自転車と車の間を、巧みにすり抜けて通って行きます。オートバイのようにエンジン音がしませんので、真横をスッと通り抜けて行く時には、「ウッ!」と何度も驚かされたのです。今では、慣れたので、歩きの進路を急に変えたりしません。もし進路を変えなければならない時には、ゆっくりとした動作をする様にしているのです。そうすると電動自転車も車も、こちらの動きを察知できるからです。これは安全のために身につけた「極意(ごくい)」です。ここ華南の街は、この電動車が最も多い街だと言われています。以前は大型だったのですが、数年前から小型化に規制されてきています。「便利ですよ!」と言われて、買うことを勧められるのですが、よく電動車同士やバスなどとの衝突事故を目撃していますので、乗りたくありません。

最近、切る風が冷たくなったからでしょうか、この電動車に乗る女性の服装が特徴的になってきています。長袖のシャツや上着を、反対に腕を通して、お腹に背の部分を持って来て着ているのです。風防の為です。初めて目にした時に、「変なファッションだなあ!」と持って眺めていましたが、瞬く間に流行しているのです。この街の風物詩の一つです。

この電動車に、家内は日本にいます時に、乗っていた時期がありました。こちらのは結構高速のスピードで風を切って行くのですが、日本製は速度制限があって、自転車並みの速度なのです。何時でしたか、下を電車が走っている高架になった坂道を、家内が登っていました。バッテリーが足りないのでしょうか、あえいでいて自転車の私の方が速かったことがありました。こちらのは、親子三人、友達三人で乗っても、坂道なども「平気の平左」で、ズンズンと登って行くのです。最近自家用車が増えていますが、夫婦と一人っ子が、一台の電動自転車に相乗りしています。さながら、マイカー以前の中産階級の家族の平均的な様子でしょうか。

時々、天気の悪い雨の日、大きな荷物を持っている日などには、「車があったらなあ!」と思うことがあります。40年も車に乗ってきましたから、ほとんどの時が「歩き」と「公共バス」、時々は「タクシー」、たまに「友人の車」で生活していますので、そんなことを思ってしまうのです。こちらの免許証を取って、自家用車で道路の繰り出しても、事故車同士の運転手が、口角泡を飛ばして、丁々発止とやり合う様子を見て、「これができなければ運転をしない方が好い!」と結論したのです。

「足から弱くなるから!」と家内と話し合って、「歩くことが健康管理に最高だ!」というのも、もう一つの結論なのです。でも、たまの休みに、郊外の大自然の中に行ってみたい時には、「ああ、車が・・・」と思ってしまうのです。

(絵は、木曽道中の熊谷宿の「駕籠かき」の図です)

秋眠

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今年の大陸の秋は、例年のように、朝晩は涼しく、晴れの日中は、夏のような日を見せております。酷暑の夏の名残でしょうか、日本では、十月になっても「真夏日」があったほどに、日本列島が涼しくならないそうです。秋の楽しみの一つは、「春眠暁を覚えず・・・」と同じように、夏の寝不足を補うかのような「秋眠」で、熟睡できることなのです。こちらでは「睡得好(スイダハオ)」」、「眠れて得をした様で好かった(?!)」で、寝覚めが爽快になってきました。ところが、日本では、なかなか熟睡できないのだと聞きました。夏の高温の余韻を体が感じたままなのでしょうか。暑すぎた夏、それも、いまだに暑いということは、「ストレス」ではないでしょうか。

汗かきの私ですが、こんなに大汗をかいた夏は、今までありませんでした。寝ていても、一晩に二度ほど寝間着を着替えるほどでした。蚊帳の中で寝ていますので、空気の動きがよくないのでしょうか。扇風機もあるのですが、空調も含めて好きではないので、就寝時には使わないのです。今夏も、いつもの夏と同じように寝ていたのですが、夏の睡眠が足りなかったことは確かです。家内は、中国のみなさんがされるように昼寝をするのですが、私は、滅多にしません。どうも、「半時間ほどの昼寝」が最適だと言われているようです。

国会議員が議場で、「居眠り」をしているのを盗撮されて、物議を醸したことがありましたが、私はしたことがありません。学校の授業中とか退屈な講演を聞いてもです。この「居眠り」は、日本人特有の睡眠習慣なのだそうです。しかし、ここ中国の店頭では、よく居眠りをしてる店主や店員さんがいます。決して「昼寝」ではないので、似ているかなと思っています。欧米人には、この日本人の「居眠り」は珍しいのだそうです。どうも、文献で調べた人の話ですと、平安時代には、すでにあったのだそうです。身分の高い人から庶民、仏僧まで、「居眠り」をしていたようです。

もう一つ、「狸寝入り」というのがあります。眠ったふりをして敵を撹乱する、あの狸の習性からきているのだそうですが、事実でしょうか。そういえば、父が、よく狸寝入りをしていたようです。いびきをかいて寝てるからと、親父の悪口を言っていると、それを聞いていたらしいのです。こっぴどく怒られたことがありました。母が、「お父さんのは、狸寝入りなんだから!」とよく言っていましたが。今日も日中は暑かったのです。それなのに、熱い麺を、「小吃店(間口が一間ほどの食堂のことです)」で、大汗をかきながら食べてしまいました。晴れれば、まだまだ暑い華南の街であります。

(写真は、秋の味覚の「柿」です)

人間度

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「能力」、「風力」、「理解力」など、「力」のついた言葉は多くあります。ところが最近、ある事件のニュースの記事を見ていて、「大人力」という表現があって、ちょっと驚きました。有名な元プレーヤーから暴行を受けたタクシーの運転手と彼の会社の対応に、この「大人力」が見られるというのです。机上の辞書にはありませんでしたので、早速、Googleで検索してみました。ゲームソフトに「大人力検定」と言うのがあって、そこから流行り出した言葉のようです。もう六年も前に発売されたソフトで、こう言った世界に疎(うと)い私には、新発見でした。

そうしますと、社会生活を送る上で、人が身につけているかどうかが問われる多くのことに、この「力」をつける傾向があるということなのでしょうか。夫の成長度や完成度を測るのに「愛情力」、会社員の貢献度や充実度を測るのに「仕事力」、人としての成熟度を測るのに「人間力」などという言葉が生み出されるのでしょうか。ちょうど私たちの体重や胴囲や血圧が、計測器で計られているのと同じに、能力や価値観や貢献度だけが問題になっているのでしょうか。誰もが長所もあれば短所も併せ持っているのですから、計量数値の他に「プラスアルファ(α)」があるはずです。その辺に、人の面白さ、生きることの輝きがあるのではないでしょうか。

もう一つの言葉も、ちょっと気になっています。それは「民度」なのです。「特定の地域に住む人々の知的水準、教育水準、文化水準、行動様式などの成熟度の程度を指すとされる。明確な定義はなく、曖昧につかわれている言葉である。テレビ番組の内容が時代、地域の民度と連動しているとの考えも存在する。」と辞書にあります。「国民」とか「市民」の「民」の度数を言っているようです。例えば、「日本人の民度は高いのか低いのか?」という言い方をします。

何時でしたか、講演会に出席していた時のことです。一級国道の脇に建物があって、道路と建物の間に空き地がありました。観光バスが道路に止まって、乗客を降ろしたのが見えました。降りて来たのは男性客ばかりでした。道路が高いところにあったので、彼らは階段を下りて来て、こちらに背中を向け道路に向かって一斉に放尿し始めたのです。「立ち◯◯◯」です。東京の街中でも、昔はよく見かけました。一つの理由は、公衆道徳の低さだけではなく、「公衆便所」が、ほとんどなかったことも問題だったのです。ああいうことが見られなくなったのは、「東京オリンピック」が行われた1964年以降だったのです。とくに様々な施設が、街中に設けられたこともありましたし、「世界の水準に、日本人の生活の仕方が達しているかどうか?」が問われ始めた時でした。みなさんに「自覚」が生じたので、「民度」が高くされてきたのでしょう。

今の私の最大の関心は、やはり「人間度」なのです。これを測る計測器があるはずですが。国籍や人種や言語を意識する以上の自分を見つめたいですし、さらに高めたいと願うのです。「自分の<人間度>が高いだろうか?」と問いながら、生きて行きたいと思っております。

(写真は、四川省に行った時に山間で撮ったものです)

先輩後輩

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    「◯◯良いとこ 誰言うた 櫟林のその中に 粋な学生がいると言う 一度は惚れてみたいもの、都立公立 古臭い・・・」、「僕は◯◯の一年生 紺の制服よく似合う あなたは女子部の白百合よ 紺のセイラーがよく似合う・・・」、これらは替え歌の文句で、上級生が教えてくれたものです。中学に入学して、隣の校舎には、おじさんのような高校三年生がいて、クラブ活動には、大学生や社会人が出入りしていました。また高校の教師が、中1の私たちを教えてくれたのです。とくに同じ学校の先輩と後輩というのは、近く親しく感じるものなのです。ああ言った関係が、とくに強かったと思います。

    「面倒をみる」とか「可愛がる」とか「奢(おご)る」とか言った関係でつながり、私たち後輩は、それを受けていたのです。もちろん、その中には、今では問題となっている「ビンタ(張り手のことです)」もありました。「制裁」とか「共同責任」とかで、頬を張りとばされたのです。「暴力」に違いないのですが、何だか「大人扱い」をされた気持になり、先輩への従順や敬意でさえ感じました。家庭や友達との間にはなかった真新しい世界の「上下関係」だったのです。中には、怒り心頭で殴った先輩もいましたが、例外でした。

    十歳も十五歳も年上ですと、戦時中に教育された先輩たちもいましたから、「軍事教練」を受けた世代になるのです。そんな先輩たちだったことになります。教師たちは、それを伝統とみなして、認めていたのです。教師の中には、OBもいましたから。「早く大人になりたい!」と言った願望で思いの中が溢れていました。ですから吸収力が旺盛で、いいことも悪いことも教え込まれた時でした。民主主義の教育を受けたのですが、古い価値観も残っていたことになります。

    あの時一緒に練習をした同級生たちと一緒に、都内の高校で試合があると、ボール運びと応援で連れて行かれました。帰りは、決まって新宿で下車して、西口の線路ぎわの小汚い食堂で、ご馳走になりました。美味かったのです。肉と言っても、何の肉だか分からないものだったのではないでしょうか。そんなことを考えなかった時代でした。仲の良かった友人は、四十前に亡くなってしまいました。同じ帽子と制服で紅顔の美少年だった仲間たち、先輩たちは、どうしていることでしょうか。全てのことが、昨日のように感じられてしまいます。

    (写真は、1960年頃の「新宿の街」です)