起立

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最近の「賃貸住宅事情」に、一つの傾向があると、ニュースが伝えています。不動産を取り扱う店舗では、老人には、貸し渋りや契約拒否が多く見られると言うのです。

ところが、イスラエルの古の書には、「あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い・・・」と記されています。華南の街で、公共バスに乗りますと、「老人卡/raorenka/ICカード」を読取機にかざすと、“ チン “ と音がします。そうすると、座席から誰か一人とか二人の青年が、イスラエル人でない中国の青年が、起立して、乗って来たおばあちゃんやおじいちゃんに席を譲っているのです。

まだ六十代で、まだ矍鑠(かくしゃく)としていた時、街中に行くバスに乗ったら、一人の学生が、『请坐qingzuo!』と言って席を譲ってくれたことがありました。一瞬躊躇したのですが、その凛々しくも敬意を示してくれた青年に、『谢谢xiexie!』と言って座ったのです。それ以来、〈若いつもり〉を捨てて、その善意を受けることにしました。

日本に帰国すると、若者事情は、中国と違っていました。優先席に、高校生が3人、頭をあげずにゲームを夢中でし続けて、「楢山節考」をしていました。家内に席を譲って欲しいと期待しましたし、この家内のために、ここの席を優先使用されているので、座らせてもらってもいいのですが、権利や善意の主張をしないでいました。

まあ現代青年たちも、以前は譲ろうとしたのでしょうけど、譲っても、若いふりして老人扱いをされたくない老人に、無視されたりしていることが多くあると言われています。日本の社会は、素直になれないのだなと思って、そんへんの事情を理解したのです。

一人っ子で、けっこうわがままに育てられた中国の青年たちに、「長幼の序」が備わり、席を譲られる側の年配者も、若者を正しく評価している社会が出来上がっているのでしょう。物質的に豊かになってきてからは、その辺の事情が変わりつつある様ですが。

ある時、席を譲らない学生に、他の大学生が、『あなた立って、このおばあちゃんに席を譲りなさい!』と言う光景を、何度か目にしたことがあります。「民度」は、決して中国は低くありません。ただ文化の違いや習慣の違いがあるだけです。同じ物差しで測れないものがあるのを知らなければなりません。かえって日本の若者の方が横柄かも知れません。滞華時間の長い私は、判官贔屓(ほうがんびいき)でしょうか。

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ネモフィラ

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茨城の海岸に、今頃咲き誇っていると、ニュースが伝えていた、「ネモフィラ/Nemophila、」です。こんなに群生するのに驚かされます。オレゴン州周辺、カナダからメキシコにかけてよく見られる花だそうです。綺麗です!

(大分文化農業公園)

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珈琲

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家内と散歩の途上の近くの公園に、ベンチがあり、陽だまりに同世代のおじいさんたちが、四、五人、会話もなくダンマリと座っています。また、よく行くスーパーの喫茶コーナーに、一組の老夫婦が向き合って座り、コーヒーを飲んでいます。先日行った、近所の喫茶店で、家内はココア、私はコーヒーを注文して、飲み始めたら、店主夫人が、話し好きで、昨年の秋の洪水で、店に汚泥が入り込んでしまい、やっと、最近綺麗にするとができたと言っていました。

こちらも同世代の罹災者ですから、共通の話題で話し込んでしまいました。私たちの住むアパートの持ち主夫人を〈ちゃん呼ばわり〉していました。家内が闘病中だと話すと、お兄さんも同病だとかで、郡山の近くに、ラジウム温泉があって、そこが湯治にいいと勧めてくれたのです。その湯治宿の宣伝レディーの様に、効能を話してくれました。

けっこう面白い話し手で、一杯350円と安いココアもコーヒーも美味しく、サーヴィスの二杯目も淹れてくれました。家内も気に入って、話に加わり、『また来ようね!』と言って家に帰ったのです。

さて社会学者は、高齢者に特有な問題があると言っています。「孤独」と「怒り」なのだそうです。学校を出てから、働き始め、結婚し、子どもたちが生まれ、精一杯働き、定年を迎えて、急に行動範囲が狭まります。趣味があればいいのですが、積極的に何をするでもなく日柄過ごしていると、生活が短調になります。

子どもたちは独立して、遠くにいて、孫たちも大きくなると訪ねて来なくなり、古女房と、四六時中一緒にいる時間が多くなっていきます。そうすると寡黙になって、新聞を隅から隅まで読み、テレビを観るともなく観て、インターネットづけになり、自分の世界に籠りがちになるのです。こうなると危険信号の点滅になってしまっているのです。

元気な主人に『亭主元気で、留守がいい!』と思っていたのに、生き甲斐をなくして、気難しく家にい続けていたら、奥さんは大変でしょうね。その夫の状態が、「孤独」なのです。「狐老」と言った方が的確でしょうか。それが進むと「孤立」になってしまいます。奥さんたちは、「女子会」と称して出かける機会が多そうです。

働いている間は、いろいろと息抜きができたのに、その機会が減り、出不精にになっていき、気難しくなり、それが昂じると、「怒り」なるのだそうです。円熟とか老成とかが望まれる年寄りが、切れやすくなって起こる犯罪が多くなっているそうです。歳を取る、ってこう言うことなのでしょうね。
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トランプさんにしろ、麻生さんにしても、われわれと同じ世代ですが、彼らは、重い責任を負いながら、よく激務をこなしているなと驚きます。私には、家内の世話という役割があって、この一年あまり、けっこう充実して日を送っているかなって思っています。国家への責任も、妻への世話も同じことだと、ちょっと強がって、自認しています。テレビも新聞もない生活ですが、子どもたちが、ちょくちょく気を使って、メールやメッセージという媒体で、文字と映像で、心配してくれています。

最近では、チェロを習い始めた孫娘が、『聴いてくれる?』と言って、FaceTimeで訪問してくれ、演奏を聴かせてくれるのです。また若い友人の母子が、なにくれとなく訪ねてくれ、チビちゃんが折り紙を届けてくれたり、お母さんは、娘の様にしていろいろと届けてくれます。一緒に遠足に行くお母さんとお嬢さんです。故郷のご両親と、私たちは同じ年齢で、ご両親は現役でまだ働いておいでです。

家内は、散歩と、息子に言われての「ラジオ体操」をし、郵便局や図書館やドラッグストアーに行くことが多くなってきています。私は買い出しで、自転車で外出し街探検もしています。友人に勧められ自転車保険に入り、ヘルメットまで買いました。それに同じものばかりの繰り返しの三食の賄いをしています。まあ「主夫」と言ったところです。これが今の自分の仕事なのです。

日帰り温泉行きも計画中です。家内が、台所に立つことが多くなっていますので、昼食は自分で作れますので、『出掛けて!」と勧めてくれています。それで朝食をとって、「ふれあいバス」か自転車に乗って行けそうです。バス代往復200円、入浴料200円で足ります。あとは決断のみです、はい。

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自然の掟

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昨日、メールアドレスのパスワードを忘れてしまったのです。何度か自分で変えたり、新しいサイトで作業する時に、次男に助けてもらって変えたりしてきて、最終的なパスワードを記録しておかないままでした。それで、便利なサイトにアクセスして、ダウンロードしようとしたのです。『×××@gmail.comー⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎ですると、〈パスワードが違う〉00と出てきてしまうけど、変更するにはどうしたらいいの?教えて!』と、次男にメールをしたのです。

そうしましたら、彼は、パスワードを覚えていて、教えてくれたのです。それで、『メモしといてね!』と言ってきましたので、〈備忘録欄〉に、メモしたのです。それで、『はーい?‍♂️痴呆の父親より、いろいろ覚えておいてくれてありがとう!』と返事をしましたら、『まだ全然、大丈夫。たとえそうなっても自然の掟。?』と言ってきたのです。

自虐的な父親を、励まそうとでも思ったのでしょう、忘れっぽくなってる私に、〈まだ全然大丈夫〉と言ってくれました。そして〈自然の掟〉だと言ってきたわけです。つまり、〈なる様になってしまう自然の流れ〉だと言いたかったのでしょう。今や、〈ややっこしい世界〉に分け入ってしまい、もうついていけないほどの複雑な迷宮が目の前に広がっています。

最近、葉書や封書でやってくる〈QRコード〉を、スマホやiPadの〈カメラ〉で読み取ると、サイトにつながる操作や、タブレットを使った会談参加など、利用する様に言われていますが、まるで迷宮に入っていく様で、ハナっから拒否反応が起こってしまい、ついていけないのです。そんなことしなくても、ちょっとの不便を忍べば、まだ生きていけるので、手がなかなか出ません。
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異次元に誘われて、ちっと昭和のジイジは混乱している様です。カセットテープレコーダー、ポケベルなどには、あの頃は、真っ先に飛び込めたのですが、最近のメディアの進歩には、もう指も頭も凍りついてしまって働かないし、なんだか痴呆が進んでしまう様で、自転車にまたがって外出したほうがいいのです。

きっと痴呆傾向の年寄りは、地方に住んで、自然と親しむほうが好い様です。昨日は、フイと家を飛び出して、街探検に出掛けました。まだ未知の道があって、そこに踏み込んだのです。スーパーで売ってるのとは違って、水槽に沈めた豆腐を売ってる店も、自家製の和菓子店も、自家製の惣菜を売る商店(ここで「しもつかれ」を売っていて美味しいのです)も、製造販売の下駄屋もあって、昔ながらの〈昭和の世界〉が、道筋に残っていました。

でも、わが国の総理大臣の記者会見の話を聞いていますと、ネットの世界と同じで、〈カタカナ語〉ばかりが飛び出してきて、『日本人だから日本語を使ってくれないと分からないよ!』と、家内と異口同音の反応を示したのです。これも拒否反応の一つです。

地方の街中の昭和に郷愁を感じ始めたら、痴呆の始まりなのでしょうか。それが、〈自然の掟〉とやらでしょうか。この掟の最たるものが、〈弱肉強食〉です。どうも弱いものを食って、強くなることができない人生を歩んできた様で、自分も弱いままですが、そんな自分を褒め直して、地方の街で、〈自然の掟〉の中を、家内と一緒に生きています。まだご安心ください。

(栃木名物の「しもつかれ/鮭の頭と野菜を煮込んだおかず」です)

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満月

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昨日は、満月だったそうで、次男が、東京のど真ん中で撮影して送ってくれた写真です。月が回っていて、東から見える季節で、窓を開けたら、肉眼で見えたのに、ちょっと残念でした。この時期、目を天空に向ける必要がありそうです。でも今夕は、小雨です。

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礼節

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1990年8月2日から1991年2月28日にあった、「湾岸戦争」を題材にした、アメリカ映画「TAKING CHANCE」を観ました。実は、家内の二人の甥が、志願して兵役についたのが、「湾岸戦争」でした。兵役を終えたら大学に進学をする計画でいたのです。上の子は、親元を離れて、私たちが住んでいた街の小学校に、半年ほど留学し、通学したことがありました。

この兄弟二人とも、兵役を終えて、無事に帰国することができたのですが、この映画に出てきます、チャンス・フェルプスは、「イラク自由作戦」で命を落としてしまいます。勇敢に戦い、20歳で戦場に倒れた一等兵でした。その実話の映画化でした。

そのチャンス一等兵の遺体を、家族の元に送り届ける任務を、買って出たのがを、シュトローブル中佐でした。佐官である将校が、上等兵を、親元に葬送する役割を果たすことは、極めて稀なことなのですが、あえて彼はその任務に着きます。その遺体を、ワイオミングに住む親元に送り届けるのです。

中佐は、「砂漠の嵐作戦」に従軍したのですが、その任務を終えて、戦場から本国の内務に移って、家族とに生活を楽しんでいました。そんな勤務をしていたある日、国防省が発表するイラク自由作戦の死亡者リストに、自分と出身地・コロラドが同じ兵士を探し出したのが、チャンスでした。しかし両親は離婚していて、お父さんが、ワイオミングに住んでいて、そこに届けるのです。

私が驚かされたには、祖国のために戦って戦死した兵士に対する、驚くほどの敬意を、この中佐が表していることでした。戦地から遺体収容所への移送、遺体の世話、身の丈に合った制服を縫い、それで遺体を覆う縫製士、軍の中に、そういった部署ががあって、戦死者への畏敬が溢れた任務を果たし、戦死者に心の籠もった接し方を、軍として遂行していました。
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戦争への礼賛(らいさん)でも美化でもなく、軍務で命を落とした兵士への「礼節」が、軍関係者はもとより、移送する空港の職員、同乗機の乗客らが示すのです。日本では、自国の国旗が、先の世界大戦で侵略国の象徴だったとして軽視や、嫌悪の的になっているのとは違って、遺体を納めた棺に、「星条旗」で丁重に覆い、自分たちの国のために戦って亡くなった兵士への哀悼を込めた用い方を、軍として、国として果たしていました。戦死者への重い敬意を感じたのです。
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親のいる家に向かうバンの車に、星条旗で覆われた棺を認めた、追い越して行くトラックや乗用車の運転手たちが、哀悼と敬意を込めて見守っているのも、驚きでした。私は、南方で戦死した叔父を知りません。亡骸が家族の元に返されたり、勲章が授与された話は聞いていないのです。敗戦国の戦死者は、押し並べて、そんな扱いだったのでしょう。

有名な旧陸軍の大将の甥子が、同級生にいました。お父さんも、陸大出の軍人で、中国の内地で戦死しています。敗戦の将も、その家族も、戦後は厳しい生活をしていたようです。一人の命の重さの日米の違いを感じて、ちょっと複雑な思いがしております。

決して戦死者を礼拝するのではなく、敬意や哀悼や感謝を表明しているアメリカの社会の在り方の一面に、生命重視の姿勢を覚えます。日本海軍に、有馬正文少将がいました。この方は、自ら青年兵士の先頭に立って、軍服から少将の襟章を外し、特攻機に乗って、49歳で戦死しています。『戦争は老人から死ぬべきだ!』と言っていたそうです。美談としてではなく、戦争は死を避けられない事実に、思いを新たにした春四月です。

(DVDのカバーとワイオミングの一風景です)
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気になること

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この三週間ほど、巴波川対岸にある旅館の解体工事が行われています。5人ほどの作業員で、息の合ったチームワークで解体作業が行われてきて、建物の大部分をほぼ終え、基礎部分を残すのみとなっているところです。昔は、ツルハシやスコップなどでの手作業がほとんどでしたが、この工事では、“ KOMATSU” と印字されたパワーショベルの大中小の三台が、フル稼働で6階建ての鉄筋コンクリートの廃屋を解体しているのです。

近所に配慮して、散水を行いながら、破砕時に出るコンクリートの粉塵を防いでいたり、騒音を最小限にしての道路脇の現場の作業です。この解体工事を、わが家の窓際から眺めていて、一つの建物のことが、気になってきたのです。それは、ニューヨーク市のシンボル “ のエンパイヤ・ステート・ビルディング “ です。1929年3月17日着工、1931年4月11日竣工で、102階建、443.2mのオフイスビルです。

この築九十年の建物も「解体工事」が、いつか必要な時があるのでしょうか。2001年9月1日「9.11」の “ ワールド・トレイド・センター・ビル ” が、崩壊して行く様子を、テレビで観ていましたので、今、隣でしている工事を見ながら、『ニューヨーク名物を、どうやって解体工事をするんだろうか?』と、心配になってしまったのです。

実は、1965年の3月に、私は、家を解体したことがありました。父が買った家が、日本道路公団の「中央自動車道」の道路予定地とされて、立ち退かざるを得なかった時、父から解体を請け負って、その解体をしたのです。木造平屋でしたので、大き目の片手持ちのバールを使って、弟の学友たちに手伝ってもらってやりました。

市の消防署に連絡をし、解体した木片や板などを焼却しながら進めました。怪我もなく、無事に終えることができたのです。解体の会社を建て上げる自信と野心もありましたが、まだ十九の私は、それは諦めました。父から貰った、公団からの解体費は、バイト代と昼飯代とおやつ代とで、みんな消えてしまいました。そんな経験があって、鉄筋コンクリート建の解体の大変さを眺めてきたのです。
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この解体工事には、下準備、足場の設営、重機の運転、ガスバーナーでの鉄筋の切断、瓦礫の分別(コンクリートと鉄筋の種分け)、瓦礫の搬出、さまざまな工事が手際良くなされているので、450mもある建物を、あの密集したニューヨークの繁華な地で解体するには、至難の業のように感じるのです。一体建物は、建てる時に、解体時をはるかに計算して建てるのでしょうか。

人の人生にも、〈終活〉をする必要があるのでしょう。10年ほど前から、「断捨離」などという言葉を、よく耳にします。見える物も見えないものも、元気な内に整理したり処分したりした方がいいそうです。もう一度くらい引越しをしそうな予感がしてならないのですが、その処分を、子どもたちにさせないように、今の内に持ち物の簡素化、スリム化が必要でしょう。在天の故郷に帰る前に、人間関係にも、心の中にも、どうも整理や処分も、する必要がありそうです。

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願い

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私の愛読書に、次の格言があります。

“ ・・・あなたの家、あなたの家族のところに帰り・・・(祝福を)知らせなさい。”

これは、私たちが、帰って行く地理的な場所だけではなく、心理的に帰れる場所のことも含めて言っているに違いありません。一日の出来事を語り合える者たちのいるところです。外には敵や邪魔者がいて、親だって、子どもだって、けっこう傷ついて帰ってくることだって多いのです。そんな緊張を解いて、ホッと安心できるのが家族のもとです。

“ 一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。”

これは、持ち物や食べ物が質素であっても、平和な雰囲気が満ち溢れているのが好いのです。また贅を尽くした持ち物や食べ物があっても、諍(いさか)いや、喧嘩でギクシャクした家よりも好いのです。4人の子育て中のわが家は、贅沢をさせることはできませんでしたが、〈分け合うこと〉や〈待つこと〉や〈赦すこと〉を目指した家庭でした。たまにはラーメンや焼き鳥屋ケーキも食べさせてあげられたのです。

“ 互いに和合して暮らしなさい。”

これは、家族間には衝突や兄弟喧嘩もありましたが、仲良くすることや和解や、家の中で相手を尊ぶこと、どう振る舞うかを学べたのだと思っています。そして、今や4人の子たちが、それぞれの家庭を持って、子育てや家庭建設に励んでいるのです。

今夕、新型コロナウイルスの蔓延についての「緊急事態宣言」が、東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7つの都府県に、総理大臣から発令され、いよいよ厳しい事態に突入したのですが、この機会を、家族結束のために、逆手にとって、これまでになく夫婦、兄弟姉妹、親子の関わる時間が増えたのですから、よりよく家族を理解しながら、この急場を乗り越えられたら素晴らしいのです。

家族でいる時間って、けっこう短いのです。忙しい時代の只中で、家族の関わりが希薄なっていますので、この時期は、その関係を太く、深く、強固にする、絶好の機会なのではないでしょうか。コロナに家庭、家族の破壊をさせてはなりません。〈和合〉って自動的にはできないので、互いが少しずつの努力をして、関係を深くできる様に、日本の全ての家庭、世界中の全ての家庭を、今夕祝福したいと願うところです。

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いのち

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新型コロナウイルスによる肺炎が、世界中に蔓延して、危機的な状況にあります。そんな中で、私たちの内にある《いのち》に、今や目を向ける時なのではないでしょうか。私は怪我ばかりする “ 負傷の子(不肖)” で、母の心配の種でした。そんな私は、傷口が化膿したことが、一度もないのです。

その理由は、母がすぐに傷口を、オキシフルで洗って、当時の傷万能薬の〈アカチン〉を塗ってくれたことによります。しかし、母の目の届かない家の外で、負う怪我の方が多く、手当もしないのに、化膿しなかったのが不思議でならなかったのです。それで、血液のことを調べると、《白血球》が、バイ菌に向かって働いて、化膿を防ぐんだということを知ったのです。

人間の体の中には、「抗原」とか「抗体」と言うものもあるのだそうです。

 『抗原は、病原性のウイルスや細菌、花粉、卵、小麦などの生体に免疫応答を引き起こす物質で、抗体は、体内に入った抗原を体外へ排除するために作られる免疫グロブリンというタンパク質の総称です。

 抗原と抗体の反応は、私たちにとって病気の予防と発症の2面性を示します。例えば、ワクチンは、無毒化した病原性細菌やウイルスを投与することで、体内で病原体に対する抗体産生を促し、感染症に対する免疫を獲得します。一方、アレルギーや花粉症は、アレルギーを引き起こす抗原に対して作られた抗体に体が過剰反応する病気です。また、免疫には、自己と非自己抗原を区別する機構があり、自らの細胞には反応しない仕組みが備わっていますが、誤って自らの細胞(自己抗原)に対して抗体が作られてしまうと、自らの組織が抗体に攻撃され病気が誘発されることがあります。これを自己免疫疾患と呼び、I型糖尿病や膠原病などが該当します(ヤクルト研究所)。』

生命誕生の時点で、体内を駆け巡る血液の中に、体外からの攻撃に対しての防御装置が、すでに組み込まれていることになります。それは人間が作り出したものではなく、心臓や肝臓や腎臓などがある様に、「抗原」が備えられていたことになります。私は、初めは理工系の学びをしたかったのですが、それをやめて、文系の道に行きました。就学前に、肺炎で何度か死に損なって、生きることができたので、人一倍、哲学的だけではなく、全人的に《いのち》の不思議さに関心がありました。

今、“ iPad ” を使って文章を書き込んでいますが、アップル社が設計し、製造を委託し、製造したのです。下の息子が買ってくれました。毎日使うタブロイド機に、設計者がいて、製造者がいて、販売者がいて、購買者がいて、使用者の私がいるのですから、人間の設計者、血液の製造者がいて、外敵に向かって、24時間、毎日、一生の防御が、絶え間無くなされているに違いありません。

軍隊に指揮官がいて命令が下ると、兵士は戦闘の任意当たるのですが、この七十年、私は指揮権を発動しないのに、血液中の白血球は、私の負った怪我の箇所に急行して、任に当たり続けてくれたのです。《賢き者》がいて、人の一生を見守っていてくれる事を、実感として、今朝も覚えて仕方がありません。だから感謝が湧き上がってくるのでしょう。

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人工呼吸器

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下の9人の人が、新コロナウイルスに罹って、重症です。ところが、ここの病院には、一台の人工呼吸器しかありません。それを誰に、どの様な順序で使わせるか、あなたが担当医師だとしたら、どういう基準で決定しますか。

IQ 180の優等生
障害者を追っている婦人
ヤンチャで問題児の学生
ガンを病んでいる老人
志豊かな青年政治家
派遣で働く人
生まれたばかりの嬰児
75歳のお爺ちゃん
自分

これは、「トロッコ問題」として有名な主題でもあります。

『制御不能(コントロール不能)になったトロッコ(路面電車)が線路を暴走している。
このまま暴走すると、前方にいる線路上の5人の作業員を轢(ひ)き殺してしまう。
この5人は、谷間にいるため、そこから逃げることができない。
一方、その5人の手前には分岐があり、路面電車の進行方向を変えることができる。
ところが、この別の線路の先には作業員が1人いて、そちらへ進行方向を変えれば、その1人を確実に轢き殺してしまう。
この路面電車の運転手は、どちらの選択肢を選ぶべきか?』

どう決定したらいいのでしょうか。カナンの街の大学の日本語学科の学生に、この問題で話し合うセミナーを持ったことがありました。二者択一で、どちらかに加わって、“ デベイト(debate)"してもらおうとしたのです。これは自分の決定ではなく、デベイトをして、意見交換をしてもらうためでした。結局、活発な意見の交換はできませんでした。なにせ3年間の日本語学習では無理でした。きっと彼らは、母国語でしたかった様で、時期尚早だったのです。

でも、「問題意識」を持つこと、倫理的にどうあるべきかについて、考えることができたことは有益だったと思うのです。人の考え方に傾聴し、自分と違った考えを理解できるからです。唯物論の教育を受けてきた彼らが、「唯心論」のものの考え方の動機付けを与えられたのは、よかったと思っています。それが私のその科目での授業目標だったからです。

それは、人間観、死生観、価値観などが問われるのでしょうけど、どんな動機や基準で人を評価するのか、誰と交流するかなども問われることでしょう。トロッコ問題は、数分、数秒で決めなければなりません。ハンドルを握っている人は、どうしても決定をしなければなりません。果たして、私たちは、今日日の問題に、どう決め、どう関わったらよいのでしょうか。

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