語るという仕事に携わって

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 社会人になってから、教育関係に5年の間働き、その後、伝道者として働き、もう57年ほどになるでしょうか。「話す仕事」に主に、長く携わってきたことになります。誠実な話し手でありたいと願って、周到な準備をして、教壇と講壇に立った積もりですアメリカの教会でも、台湾の教会でも、大陸の教会でも、聖書からお話をする機会がありました。

 教師は、指導書に沿って準備をしたのですが、百科事典を参考にしたりして、授業の教案準備をした日々の充実さは、宝物のように今でも感じております。省立の学校の外国語学部で、10年ほど日本語も教えさせていただきました。また説教の準備は、テキストは聖書ですし、多くの説教者のみなさんが残してくださった書を開いて参考にし、果たして、その自分の思想が正しいかどうかを判断させてもらったのです。

 さらに、祈りながら、けっこう悪戦苦闘の日々でした。「神のことば」を語るという、畏敬の思いがあって、軽々しく解き明かすことはできませんでした。朝が白ける頃になっても、説教準備ができなかったことも何度かありました。また思いが千々に散るのでしょうか、まとまらないことも、よくあったのです。

 まだ若かった頃、母教会での奉仕を終えて、講壇から降りますと、老姉妹が、『今日のお話はよかったわ!』と言ってくださり、労われたこともありました。説教を手話通訳をしてくださって、そのように聞いておられら方もおいででした。講壇を降りて、礼拝が終わると、近づいてくださって、どんな風にみことばを聞いたかを、手話で話してくださったことがあったのです。

 さまざまな必要を持たれて、教会の交わりの中に加えられた人がおいでなのです。それが教会なのだと再認識させられた時でした。韓国やフィリピンや中国やアメリカ、さらにアフリカのナイジェリアからおいでのクリスチャンたちと、一緒に教会生活をした時期もありました。そのみなさんの顔が、今でも瞼の裏に残されて、時々思い出します。

 お隣の国にいた期間は13年でした。一年間は、天津で語学学習を留学生の立場でしたのです。その時、市の施設に見学に行行きまして、留学生証を出しましたら、それを眺めて係の女性に笑われました。60過ぎの留学生が、彼女には意外だったのでしょうか。でも、学割で入場できたのです。南の方の街に越して、省立大学の漢語学部に入学して、学びを続けたのです。

 そこには、日本人も多くいて、フィリピン、タイ、インドネシア、イギリスなどからの留学生仲間がいました。沖縄からの留学生がいて、県職員を早期退職して、単身で留学されていた方もおいででした。学生寮でパーティーが行われ、有志の出し物が演じられ、歌われて、一緒に食事をし、習いたての中国語で談笑したのです。

 教会生活を始めましたら、熱心な方は、” hallelujah “ と威勢よく初見の挨拶でもあるのでしょうか、ヘブライ語で言われるのには驚きました。『主をほめたたえる!』の挨拶も、クリスチャン同士だったらいいのでしょうか。でも使徒行伝でもパウロなどの書簡の中にはみられません。詩篇とヨハネの黙示録には出てきますから、まあ許されるのでしょう。

 韓国の蒸気機関車のように感じる伝道者が、よく講壇の上で、熱烈に話されていて、それを聞いたことがありましたが、主を愛しておられて、褒め称えずにはおられなかったのだと思います。みことばを涙を流してお話になっておいででした。日本語教育を受けておいでで、非常に上手な話し手でした。ご一緒に食事をさせていただいたことがありました。

 聴衆の心を、救い主に向けさせる、伝道者の賜物をお持ちで、非常に謙遜な方でした。この方のような説教者になりたいと、若かった私は思わされたのです。

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 同じ話し手といえば、「噺家(はなしか)」は、抜群にお上手です。昭和の名人に、六代目三遊亭圓生がいました。この円生師匠は、関西人でしたが、義太夫の稽古を受けていたようで、幼い日に東京に住み始めて、上手な江戸弁の話し手だったのです。

 聞くところによりますと、6才の時には、もう20席ほどの演目を持っていて、高座に上がるほどだったそうです。通常、真打は、30~40年の間に努力して100席ほどが普通なのだそうです。ところが、この円生師匠は、何と300席を、いつでも、どこでも自在に演じることが出来た、稀代の噺家だったそうです。

 『え~一席、ばかばかしいお話を・・』と言って話し出す落語なのですが、そ れだけ、たゆまぬ研鑽を積まれた円生師匠に敬意を覚えさせられ、さらに落語好きな人間とされてしまいました。何の取り柄もない私が、「聖書」を語る者にさせていただいたことは、望外のことだったのです。でも、語ることは、なかなか難しい仕事であることは確かなことです。

(ウイキペディアによる聖書の写本、6代目圓生一門の定紋です)

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