珈琲

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家内と散歩の途上の近くの公園に、ベンチがあり、陽だまりに同世代のおじいさんたちが、四、五人、会話もなくダンマリと座っています。また、よく行くスーパーの喫茶コーナーに、一組の老夫婦が向き合って座り、コーヒーを飲んでいます。先日行った、近所の喫茶店で、家内はココア、私はコーヒーを注文して、飲み始めたら、店主夫人が、話し好きで、昨年の秋の洪水で、店に汚泥が入り込んでしまい、やっと、最近綺麗にするとができたと言っていました。

こちらも同世代の罹災者ですから、共通の話題で話し込んでしまいました。私たちの住むアパートの持ち主夫人を〈ちゃん呼ばわり〉していました。家内が闘病中だと話すと、お兄さんも同病だとかで、郡山の近くに、ラジウム温泉があって、そこが湯治にいいと勧めてくれたのです。その湯治宿の宣伝レディーの様に、効能を話してくれました。

けっこう面白い話し手で、一杯350円と安いココアもコーヒーも美味しく、サーヴィスの二杯目も淹れてくれました。家内も気に入って、話に加わり、『また来ようね!』と言って家に帰ったのです。

さて社会学者は、高齢者に特有な問題があると言っています。「孤独」と「怒り」なのだそうです。学校を出てから、働き始め、結婚し、子どもたちが生まれ、精一杯働き、定年を迎えて、急に行動範囲が狭まります。趣味があればいいのですが、積極的に何をするでもなく日柄過ごしていると、生活が短調になります。

子どもたちは独立して、遠くにいて、孫たちも大きくなると訪ねて来なくなり、古女房と、四六時中一緒にいる時間が多くなっていきます。そうすると寡黙になって、新聞を隅から隅まで読み、テレビを観るともなく観て、インターネットづけになり、自分の世界に籠りがちになるのです。こうなると危険信号の点滅になってしまっているのです。

元気な主人に『亭主元気で、留守がいい!』と思っていたのに、生き甲斐をなくして、気難しく家にい続けていたら、奥さんは大変でしょうね。その夫の状態が、「孤独」なのです。「狐老」と言った方が的確でしょうか。それが進むと「孤立」になってしまいます。奥さんたちは、「女子会」と称して出かける機会が多そうです。

働いている間は、いろいろと息抜きができたのに、その機会が減り、出不精にになっていき、気難しくなり、それが昂じると、「怒り」なるのだそうです。円熟とか老成とかが望まれる年寄りが、切れやすくなって起こる犯罪が多くなっているそうです。歳を取る、ってこう言うことなのでしょうね。
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トランプさんにしろ、麻生さんにしても、われわれと同じ世代ですが、彼らは、重い責任を負いながら、よく激務をこなしているなと驚きます。私には、家内の世話という役割があって、この一年あまり、けっこう充実して日を送っているかなって思っています。国家への責任も、妻への世話も同じことだと、ちょっと強がって、自認しています。テレビも新聞もない生活ですが、子どもたちが、ちょくちょく気を使って、メールやメッセージという媒体で、文字と映像で、心配してくれています。

最近では、チェロを習い始めた孫娘が、『聴いてくれる?』と言って、FaceTimeで訪問してくれ、演奏を聴かせてくれるのです。また若い友人の母子が、なにくれとなく訪ねてくれ、チビちゃんが折り紙を届けてくれたり、お母さんは、娘の様にしていろいろと届けてくれます。一緒に遠足に行くお母さんとお嬢さんです。故郷のご両親と、私たちは同じ年齢で、ご両親は現役でまだ働いておいでです。

家内は、散歩と、息子に言われての「ラジオ体操」をし、郵便局や図書館やドラッグストアーに行くことが多くなってきています。私は買い出しで、自転車で外出し街探検もしています。友人に勧められ自転車保険に入り、ヘルメットまで買いました。それに同じものばかりの繰り返しの三食の賄いをしています。まあ「主夫」と言ったところです。これが今の自分の仕事なのです。

日帰り温泉行きも計画中です。家内が、台所に立つことが多くなっていますので、昼食は自分で作れますので、『出掛けて!」と勧めてくれています。それで朝食をとって、「ふれあいバス」か自転車に乗って行けそうです。バス代往復200円、入浴料200円で足ります。あとは決断のみです、はい。

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