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『 あなたは、私のさすらいをしるしておられます。どうか私の涙を、あなたの皮袋にたくわえてください。それはあなたの書には、ないのでしょうか。(詩篇56篇8節)』
『まことに、御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。 (詩篇30篇5節)』
私の二つ違いの弟は、ちょっとやそっとのことでは泣かない、強い子どもだったのです。つまり「弱音」を言わないで、グッと我慢できる子どもでした。それに引き換え、私は泣き虫で、痛がりで、弱音を吐く子だった、と言いたいのですが、ジッと我慢して生きてきた母の子なので、弟には及びませんが、〈痛さ〉にも〈撃たれ〉にも〈無視〉にも、けっこう強いのだと自認しているのです。
かく言いながらも、ある手術をして、ICUで目覚めた瞬間に味わった激痛に、私の顔を覗き込んでいた看護婦さん(当時はそう呼んでいました)に、『痛くて耐えられないので、痛み止めを打って!』と女々しくも嘆願してしまったのです。きっと身体の中で、最も深いところを手術していたのでしょう、今まで味わった痛さ、上の兄にぶん殴られた時の数百倍の痛さを感じたのです。
手術前、見舞ってくれた方たちの前で、『イエスさまの十字架の苦しみ、痛みを少しでも味わえるなら嬉しい今なのです!』と豪語した私でしたが、『主よ。わたしは良いことをしたのですから、この痛みを取り去ってください!』と必死で、交渉の祈りをしてしまいました。主の十字架の痛さの数億分の一でも味わえっこない自分の限界を知らされて、もうそういうことは言わないでおります。
一番多くの涙を流して泣いたのは、父が召されたと聞いて、勤務先から、父の亡くなった病院までの間、電車の中で泣き続け、涙を流し続けていたことがありました。特愛の子だったのに、父を喜ばせて上げられないままの突然の死別だったので、不徳の三男の自分を恥じたのです。でも父にはまた会えると信じています。
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今でもお話や映像を観て、感動してしまい泣きたくなることが、時々あります。それですっと立ち上がって、ほかの室に移って、泣き顔を家内には見せないようにしているのです。
でも一番の涙は、当然滅ぶべきだった自分が、神の子にされたという、25の秋の喜びと感謝の涙だったに違いありません。地獄に落ちるほどのギリギリのところで、拾い上げられたからでした。
『しかし、あなたがたのことについては、私たちはいつでも神に感謝しなければなりません。主に愛されている兄弟たち。神は、御霊による聖めと、真理による信仰によって、あなたがたを、初めから救いにお選びになったからです。 (2テサロニケ2章13節)』
人の功績も修行も悟りも、人が救われるために不要なのだと、聖書は言うのです。『初めから救いにお選びになったから・・・』、義とされ、聖とされ、子とされ、やがて栄光化されるのです。
聖書が一番問題にしている「罪」は、「的外れ」だと言われています。神が意図したこと、「義の基準」からずれてしまっていることです。だから的を得て、神が意図された人生の目的に戻ることが、神の刑罰という「永遠の死」から、「永遠のいのち」をいただく「救い」なのです。何一つ良くない私が、罪に呻吟しながら生きていた25の私が、「子」とされたのは、
「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。 行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。(エペソ2章8~9節)』
これを、《一方的な恵み》、《恩寵》と言います。追い迫る罪の呵責から解放され、躍り上がるような「赦し」を実感をさせていただいた25の秋の「涙」と「喜び」を、決して決して、わたしは忘れません。流した滂沱(ぼうだ)のような、私の涙は、きっと「皮袋」に収められていることでしょう。
昨日は、住んでいる地域のみなさんと、栃木市寺尾の出流の地の「名物蕎麦」、しかも「新蕎麦」を食べに行きました。煮物(芋と人参と蒟蒻)、漬物、芋の蔓の煮物などが添えられた、特別仕立てでした。そこは、幕末の尊王攘夷の志士たちが立て篭もったお寺の山門前の店でした。山の狭間で萌えるような紅葉が溢れていました。流れ下る川の瀬水も清く、創造の世界は、泣きたくなるような驚くほどの晩秋の美しさで、感動的でした。
(出流の紅葉、ふれあいバス停に咲く皇帝ダリアの花です)
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