死に損ないの生き様

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 『イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます(ルカ2343節)』

 自分は、《死に損ない》だと思ってきました。いえ、死のギリギリの瀬戸際で、何度も生還してきたからだと思います。肺炎を起こして入院、死線を彷徨いながらも、ペニシリンと諦めないで治療に努めてくださった医師、母の祈りと篤い介護で、死なずにすみました。高校2年の夏、台風接近の湯河原の吉浜の海で泳いでいて、強烈な潮の引く力に陸に戻れずに死を覚悟した時、波に運ばれて陸に打ち上げられました。二十歳の頃、アルバイトをしていた時、落雷のあった木の下に直前までいて、他の場所に移って、落雷を免れたのです。

 中部地方の盆地のマンションの二階に住んでいた1980年の7月、上階の家がガス爆発をして、住んでいたご婦人が亡くなられたのです。消防署の検査の折、『よく引火しないですみましたね!』と驚かれて言われ、ベランダの籠の中の小鳥も洗濯物も見えてしまって、窓ガラスが総崩れで吹き飛びました。家内のお腹には、そに翌月に出産を予定していた次男がいましたが、家内は爆発の瞬間の様子を、覚えていないで胎児への影響はありませんでした。私だけが砕け飛んだガラスの破片を頭に受け、外科医で30ほどの破片を取り除いてもらったのです。

 中央道を走行中、笹子トンネルを出て、諏訪方面をオーバースピードで走っていて、カーブの先、渋滞の車の制動灯の赤いランプが見えて、急ブレーキを踏んだのですが、間に合いそうにありませんでした。速度違反の追突しそうな私の車は、前車の20cmほどで止まったのです。その前の週に、新しいタイヤの交換をしてなかったら、玉突きをして死傷事項を起こし、自分も追突死は免れなかったことでしょう。

 まさに、『私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。(哀歌322節)』、何度も死なずに、今日まで生き続けてきたのには、「神の恵みと憐れみ」があっただけで、ずいぶんと thrilling な生を生きてきたのでしょうか。

 すでに両親も帰天し、お世話し、教えてくださった宣教師のみなさんも、主の安息の中に帰えられ、同世代の中にも、既に召された方が何人もおいでです。死別を繰り返し、病者を見舞い、お亡くなりになられたみなさんの告別の式を司り、今日を迎えています。

 華南の漁村、東シナ海を遥かに見下ろす小高い丘の上に、知人がご両親のために作られた墓があります。そこに、家内と私も、亡くなったら、遺骨を葬ってくださるとおっしゃってくれています。でも、私は、「散骨」にしてもらえる様に言ってあります。

 生まれてきた私たちは、必ず死を迎えるわけです。私は聖書を読んできて、説教をさせていただいてきて、死には、「二つの死」があると信じています。一つは、「肉体の死」、もう一つは「永遠の死」です。やがて死んだ全ての人が、神の前に立ちます。自らが罪人であることを認め悔い改めて、その罪を悔いて、神の御子イエスさまが十字架の上で、その罪の身代わりに死んでくださったと信じるなら、その人に約束されたこと、赦しと、子とされ、義とされ、聖とされ、やがて栄光化されるのです。

 それと並行して、信じた者には、『父の前で弁護する方・・・義なるイエス・キリスト(1ヨハネ21節)』がいてくださると聖書にあります。宣教師のみなさんは、『自分が生きている間に、主の再臨があり、私は《空中軽挙(1テサロニケ417節)》されたい!』とおっしゃって、その望みを強烈に持っておいででした。果たして、私の時代に、主は空中に再臨してくださるでしょうか。神のことされた方たちは、次のように言っています。

  『蝶はせまってくる死にいささかもうろたえない。自分が生まれてきた目的ははたし終わった。そして今やただひとつの目的は死ぬことである。だから、トウモロコシの茎の上で、太陽の最後のぬくもりを浴びながら待っているのだ。(フォレスト・カーター「リトル・トリー」)』

 『老いゆけよ、我と共に!最善はこれからだ。人生の最後、そのために最初も造られたのだ。我らの時は聖手の中にあり。神言い給う。すべてをわたしが計画した。青年はただその半ばを示すのみ。神にゆだねよ。すべてをみよ。しかし恐れるな!と。(ロバート・ブラウニング「ラビ・ベン・エズラ」より)』

 蝶ではないし、青年でもありませんが、残された日々を数えながら、今までの全てを感謝しながら、今を生きるように努めています。

(「キートンのキリスト講座」からです)

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