ありのままの闘魂

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 1948年に、作詞:吉川静夫、作曲:上原げんと、唄:津村 謙の「流れの旅路」が世に出ました。ラジオから、しっきりなしで聞こえてきたのです。歌詞の歌い出しの印象が強かったので印象的でした。

紅いマフラーを いつまで振って
名残り惜しむか あの娘の馬車は
遥かあの丘 あの山越えて
行くかはるばる 流れの旅路

旅の一座の 名もない花形
ビラの写真の さみしい顔よ
遥かあの町 あの村過ぎて
行くかはるばる 流れの旅路

紅いマフラーは 見るのも辛い
別れ惜しんだ あの娘がいとし
遥かあの空 あの星見ては
行くかはるばる 流れの旅路

 きっと戦争で失ったものの中に、「色彩」があったように思うのです。物心のつき始めた頃、そんな幼い日を思い出します。灰色か黒の一色の社会だったのではないでしょうか。ズボンも上着も下着も、黒か白だったでしょうか。時代が暗かったし、テレビもスマホもなかったのです。でも自然界にある色だけは、まさに天然色だったのです。

 そんな頃に、「赤いマフラー」を振る女性の登場する歌が流行って、まだ就学前のわたしの思いの中に、強烈な色彩が飛び込んできたのです。無色の世界に、明るい色が差し込んできたような思いがあったんだと思います。「赤い靴」を履いてた女の子も、「赤いリンゴ」に唇を寄せる歌も、いっきに、日本の社会に色が回復されてきたのです。

 そんなことを思い出させたのが、アントニオ猪木でした。日本のプロレス界を引っ張ってきた人です。いつの頃からでしょうか、赤いマフラーをなびかせて、「闘魂注入ビンタ」をしていました。自分とは一才歳上で、家内の兄と同じ、ブラジル移民で、同じような苦労をしたことでしょう。

 その彼が、昨日、亡くなられたとニュースが伝えました。われわれ世代は力道山、次の世代はジャイアント馬場、そしてアントニオ猪木だったでしょうか。行動が大げさで、国会議員になったり、北朝鮮になんども出掛けたりしていました。

 病んだ後のこの人の、在り方が素敵だったのではないでしょうか。輝かしい過去、日本を興奮させた人気、鍛えた肉体、フアンを喜ばした performance 、次に何をしたり言い出すかが期待できた、そんな人が、病気で変化していく自分を、mass media に露出したことが、すごく勇気があるのではないでしょうか。

 病んで、衰えていく自分の姿を見せたくない心理が、普通に働くのに、彼は恥じず、動ぜずに、カメラの前に、《ありのままのご自分》を置き続けたのは、素晴らしい生き方、そして終わり方だったのではないでしょうか。映像でしか知らない人ですが、病んでいる人にも勇気を与えたに違いありません。

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