まあいいかの今を

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 つくづく思うことですが、私の落ちた学校に、この人は合格しています。付属の幼稚舎から高校まで学び、法学部政治学科に合格しているのです。卒業すると、一流企業に就職し、人の羨むような要職を務め上げて、取締役にまで栄進し、晩年には、国家イヴェントの責任も負い、出世街道を爆進したのです。

 同じ年に生まれ、同じ戦後の星のもとを生き、時代の風を受けて生きてきたのに、この私は、三流の学校に進学し、教員採用試験にも落ち、高校の恩師の世話で就職させていただき、就職先の責任者の口利きで、教師にさせていただきました。教育畑に5年いさせてもらい、将来に何の約束も保障もない、キリストの福音に仕える伝道者に、アメリカ人宣教師に誘われてさせていただいたのです。以来、50有余年、この道で生きてきました。

 私と同年齢のこの人は、この時節、留置生活を続けています。鉄の格子のかかった牢で過ごしているのです。外に出られるのは、取調べの時だけです。お父さんからの素晴らしい機会を用いて、自分の敏腕さでキラ星のように生きたのに、人生の最後半の時を、そんな境遇で過ごしています。それに引き換え、今の私は、家内とともに同じように老齢期を迎え、地方都市の川の流れのほとりの借家に住んで、けっこう楽しく感謝な生活をさせてもらっています。

 この上の写真は、先頃の選挙で合格された方の若き日の写真です。歌手で、テレビの連続時代劇にもレギュラー出演した有名な同世代人です。初めてこの写真を見た時に、『あれー!』と驚いたほど、自分の若い頃にそっくりで、『こんな写真撮られたかな?」と見間違うほどだったのです。

 この方も同じ世代で、国会議員の今を生きていて、私よりも少し若いのですが、まあ順調な人生を生き、締めくくりのこれからを国政に預かって、重責を果たそうとしているようです。

 石を投げられ、騙されてお金を取られ、誤解されたり、悪口を叩かれ、説教中に聖書と説教ノートを取り上げられたり、取り調べの一棟に呼ばれ、始末書を書いたりしました。どこへ行っても成功者の道の真反対で生きてきたのに、それを終えて帰国し、休止中の身なのに、とても幸せなのです。

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 ただ不足は、家内にダイヤモンドを買って上げられなかったことと、老いを、もう少し心地よく過ごせる家を買い与えられなかったことなのです。でも、家内は、身につけると痒くなる宝石への思いは微塵もないのです。東と西に窓があって、開らけた部屋で、朝日の昇るのと沈むのを眺められ、天気の良い冬場には、富士が遠望でき、ベランダに季節季節の花を植え、知り合いの来訪を歓迎して、私の作る同じ物の繰り返しの食事を食べて、満足してくれているのです。

 日曜日ごとには、二人で聖餐に預かり、友人の配信する礼拝に加わり、礼拝を守る前には、市の駐車場に二十人ほど集まるラジオ体操会に参加しています。その福寿会の園芸会にも出席し、時には蕎麦を食べに連れて行ってもらったり、家内は週一でリハビリと訪問マッサージ師の施術を受けながら、6週に一度の検査で病院に通う生活に喜んで生きているのです。

 この私は、自転車で数回転倒して、若い頃の無理もあるのでしょうか、今はあちこちと体が痛く、温まると好いので、散歩コースにある日帰り入浴施設に時々行き、6、7週ごとに街医者に通院し、毎日一錠の薬を服用し、台所と洗濯の仕事を天職に替えて過ごしています。不安がないとは言いませんが、生き方を顧みていますが、もう半転、逆転もできないので、『まあいいか!』の十月の末です。『もう一輪!』咲かせたいと思ってもいいのでしょうか。

(ラジオ体操仲間から頂いた鉢の green です)

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