アサギマダラの旅を羨む

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(桐生市梅田町四丁目に住む水野雅雄さん13日午前撮影)

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 今夏、去年の花の種が落ちた土を、再利用していましたら、時季が遅くなってでしたが、朝顔が芽を出してきたのです。ずいぶんたくさん、今季も咲いてくれました。綺麗に咲き始めた頃に、急に花の棚が明るくなったので、葉を見ると虫食いの跡が見えたのです。花を、まだ咲かせたいわたしは、肥え太った3センチほどのさなぎが2匹もいました、それを取って、眼下のツツジの生垣に落としてしまったのです。

 蝶々がたびたび飛来していましたから、それが、朝顔の葉の裏に産み落としたのが、成虫になっていたのでしょう。先週末、お隣の群馬県の桐生市で、南に帰って行くアサギマダラが、フジバカマの花で吸蜜をしている写真が撮られて、ニュースサイトに載っていたのです。

 蝶の種類はちがうのでしょうけど、花を取るか蝶を取るか、悩むところでしたが、蝶の蛹には他所に行ってもらいましたので、十月中旬まで、朝顔の花が咲き続けました。思い出すのは、華南の街のベランダでは、新年が明けても、朝顔が咲き続けていましたから、さすがの亜熱帯気候地だったわけです。

 昨日の news site で、桐生タイムスの記事に、アサギマダラが飛来してきて、南に飛んでいくための栄養補給でしょうか、吸蜜している写真がありました。どんな花からかと言いますと、「フジバカマ」なのです。散歩道で見かける野草です。自然界のサイクルと言うのでしょうか、南に飛び帰るためのアサギマダラへの創造のタイミングの良さに、造物主の知恵や恩寵が感じられて、神さまをほめたててしまいました。

 鶴がヒマラヤの高嶺を越えて行く姿を、映像で見たことがありますが、鶴の個体とアサギマダラの個体の違いを考えてみますと、アサギマダラが香港で見つかったと言うニュースを聞いて、どこに、それだけの距離を飛翔できるエネルギー、蝶力が蓄えられているのか、驚かされます。体重が軽いので、風に身を任せて飛ぶことができますが、逆風だってありそうですが、季節に応じて、向きを変える風を見つけ、それに身を預ける本性にも、さらなる驚きを覚えてしまいます。

 被造物の内側に、自分の創造主を認めるものが、溢れるほどにあるのに、どうして人は、神に離反して、認められずにいるのでしょうか。木を切り刻んだ物、土や金属をこねた物、月や星や太陽を、人は拝むのを、「的外れ」と言うそうです。そう勘違いをしているのです。それこそが、「罪」だと、聖書は言っております。わが家の一坪半ほどのベランダで、命を輝かしている花や葉や種が、この自分の目を慰め、心を感動で溢れさせてくれるのは、造物主の恩寵なのです。

 桐生タイムズに、次のような記事がありました。

 『桐生市梅田町四丁目に住む水野雅雄さんは13日午前、自宅の庭に咲くフジバカマで蜜を吸うアサギマダラを見つけ、写真に収めた。アサギマダラはその名の通り「浅葱(あさぎ)色」の羽根をもつタテハチョウの仲間。旅するチョウとしても知られており、毎年春から初夏にかけ、南西諸島から海を渡って九州、さらに本州へと北上。群馬や長野、福島といった内陸の高地で繁殖し、秋になると九州、沖縄方面にまで旅をする。2000キロ近い長旅をする個体もいるという。桐生・みどり地域でも毎年、フジバカマやアザミなどに立ち寄る姿が目撃されている。「1時間ほど、花の周囲を飛んでいました」と水野さん。一休みして英気を養うと、風をつかんで南に旅立った。』

 アサギマダラとは違った使命を持って生きているわたしは、アルゼンチンやブラジルまで飛んで行ったことがあります。成田からトロント、サンパウロ、を経由して、ブエノスアイレスに運ばれたのです。それは大掛かりなガソリンエンジンで飛ぶ飛行機に乗ってでした。風に吹き飛びそうなアサギマダラが、あのような生を謳歌している姿を見て、神のいますことを、改めて感じて、神さまに感謝しているところです。

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