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今朝読んだ聖書に次のようなことが記されてありました。
『あなたは、見ておられました。害毒と苦痛を。彼らを御手の中に収めるためにじっと見つめておられました。不幸な人は、あなたに身をゆだねます。あなたはみなしごを助ける方でした。悪者と、よこしまな者の腕を折り、その悪を捜し求めて一つも残らぬようにしてください。主は世々限りなく王である。国々は、主の地から滅びうせた。主よ。あなたは貧しい者の願いを聞いてくださいました。あなたは彼らの心を強くしてくださいます。耳を傾けて、みなしごと、しいたげられた者をかばってくださいます。地から生まれた人間がもはや、脅かすことができないように。(詩篇10篇14~18節)』
『見ておられました。』、しかも、『じっと』この地上に起こることの全てを、「見ている方かいる」と言うのです。見ておられる方は、万物を造られ、それを統治し、やがて審判をなさる神、十字架に死んで蘇り、父の神の右に座されるキリスト・イエスさま、「助け主」と呼ばれる聖霊、この「三で一つの神」のなさることなのです。
ウクライナやロシアに起こっていること、新疆ウイグルに起こっていること、朝鮮半島に起こってること、新宿の夜の街に起こっていることも、あらゆる国の路頭で起こってる不義と不正と罪悪を、神は、一点たりとも見逃さずに、しっかりと見ておいでなのです。
『神よ。立ち上がって、地をさばいてください。まことに、すべての国々はあなたが、ご自分のものとしておられます。(詩篇82篇8節)』
私たちには、わからないことは、「神の《裁き》の時」です。悪者の横暴のために、残虐が繰り広げられ、あの悪が沸点に達しているのに、神は、まだ立ち上がられないのです。それは、人の判断する時ではなく、「神の時」があるからなのです。
『神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。 (使徒17章30節)』
神さまには、「悔い改める」人が残されているのを知っておいでです。ですから、うっかり見過ごすなどと言うことはなく、ちょうど的確な時をご存じなのです。私たちは、焦ったりしますし、時期尚早だったりもしますが。そのようなことは、神さまにはないのです。
『私は、日の下に一つの悪があるのを見た。それは権力者の犯す過失のようなものである。 (伝道者10章5節)』
ここで言ってるのは、その時代に建てられた、傲慢にもその座を占めた指導者や権力者が、犯してきた罪、犯している罪が、見られている、知られていると言うのです。その罪の悪が満ちていく様子を、見逃すことなく、じっと見ておられる神がおいでだと言うのす。
私は、最近替え歌を歌っているのです。
ぶんぶんぶん はちがとぶ
おいけのまわりに
のばらが さいたよ
ぶんぶんぶん はちがとぶ
このハチを[虫]に替え、小池を[モスクワ]とか[クレムリン]とか[天安門]とか[赤い貴族屋敷]とか[ピョンヤン]などに替え、のばらが咲いたよを[神の時が来たよ]に替えて歌っています。吸蜜や受粉だけが、虫の役割ではなさそうです。でも、神さまはいつ、何をなさるのでしょうか。
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