倍の責任の顔

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 「顔」、自分の顔を、鏡に映してみて、『やっぱり、親爺の子なんだ!』と、若き日の写真の父の顔に似た自分を納得しています。母似だと言われてきた自分ですが、それに気付いて、ホッとたことがありました。その父が、『準は、髭をはやしたら、俺の親父にそっくりだよ!』と言っていた言葉を思い出したこともあります。

 誕生してから、娘が時々送ってくれた、今や16歳になった初孫の写真や動画を、彼の誕生以来見てきました。自分似の表情が見えて、歯痒いというのでしょうか、苦笑いをしてしまうことが幾度となくあったのです。

 上の兄に、『準はノーくんにそっくりだ!』と言われたことがありますが、「顔」は、性格もそうなのでしょうけど、爺に孫は似るのでしょう。祖父似、父似の自分、わたし似の孫、ちょっとした表情に、また性格も癖も、受け継ぐものがあるのでしょう。

 でも《実際の顔》だけではなく、人には《社会的な顔》があるようです。どう言った自分を見せるか、行動や態度や語る言葉で、本当の自分ではない《自分》を見せなけてばならないことが、どうもありそうです。顔と言うよりも《立場》と言った方がよさそうです。

 自分の子どもに見せる《顔》、妻に見せる《顔》、孫に見せる《顔》、職業上や立場上で見せてきた《顔》、責任を感じて見せようとした《顔》、でも誰もいない時に見せている《顔》、例えば、だれ一人知り合いのいない温泉に浸かっている時の緊張感の緩んだ《顔》は、まったく違うのかも知れません。


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 1998年11月に、中国の江沢民総主席が来日しました。その時に見せた《顔》が、二つほどありました。この方は、仙台を訪ねた時に、ある集いでの挨拶で、開口一番、『みなさん、おばんでございます!』と言いました。それを聞いたみなさんは驚き、そして親しみを覚えたと言われています。国で見せていたのは、日中関係の困難さの最中の総主席として、反日を掲げた時の《顔》で、わたしはその顔しか知らないのです。

 ところが、この方の尊敬する魯迅が日本留学をして、医学を学んだ仙台市を訪ねた時に、そんな挨拶をしたのです。まったく違った《顔》を見せたわけです。日中にある歴史問題について、公の席では、『(日本の侵略によって中国は)軍民3500万人が死傷し、6000億ドル以上に経済的な損失を被った。』と講演の中で、棘を見せて語りました。

 また別の所では、『今日、日本が経済大国に発展できたのは、まさに平和と発展の道を歩んだ結果であり、隣国と平和に付き合った結果だ。』と、戦前戦中の日本と戦後の日本を区別して語ったのです。語らなけれない国としての内容と、そうでない事事とを使い分けたのかも知れません。

 何よりも、仙台では、東北大学に残されいる、医学校時代の校舎の教室で、魯迅の座ったことのある席に着いたりもして、『おばんでやんす!』の《顔》も見せたわけです。個人的に尊敬する魯迅は、険悪さを緩和させることができたのです。
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 難しい顔をしないで、温和な表情で、いつも人に接せられるようにと願うのですが、時としては、嫌の顔をしてしまう時があったかも知れないことを、反省しながら、ちょっと鏡を見てくることにしましょう。リンカーンならずも、自分の《顔》に〈倍の責任〉を持って、もう少し生きていかねばなりません。

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