この違い

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 毎年、四月十五日に、日光東照宮で行われる例大祭に、間に合うように、京の都を発った朝廷の一行を、「日光例幣使」と言ったのです。「幣帛(へいはく/供物のことでしょうか)」を、亡き家康にささげるためでした。中山道から分かれた道を、日光に向かう公家の一行が、ここ栃木宿をも通ったのです。その様子を描いたのが、上の日光例幣使街道の宿場と絵です。

 大変な行程を、毎年、大政奉還に至るまで励行したようです。徳川幕府、その始め手の家康への恭順を、そう言った形で示した、いえ、幕府に求められたわけです。徳川殿の権勢の表れでした。ところが、その一行の素業が、極めて悪かったのだと記録に残されています。下役も上級の使いも、道道、鬱憤を晴らしたのでしょう、すこぶる評判が悪かったようです。

 「ゆすりたかり」と言う言葉がありますが、とくに「ゆすり」と言うのは、「揺り」のことなのです。歩かずに、楽な旅をするために、道々、籠を求めたのだそうです。乗っていた勅使が、自分で籠を揺すったのに、駕籠かきがのせいにして、難癖をつけ、金銭を求めたのだのです。それを、「ゆすり」と言って、今日でも悪徳役人が、庶民に金品を要求する、あれです。

 この例大祭が終わると、日光街道を江戸に出て、東海道を京に上ったのです。任務からの解放感で、大迷惑を吐き散らしての旅は、なんだか目に見えるようです。自発でない、強いられてする行動には、そんな副産物があったのでしょう。

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 イスラエルの民の男子は、年に三度、「過越の祭り」、「七週の祭り(五旬節)」、「仮庵の祭り」に、エルサレムに「都上り」をしました。彼らは、歌を歌い、主を喜び、ほめ讃えながらエルサレムに上ったのです。例えば、

 『さあ、主をほめたたえよ。主のすべてのしもべたち、夜ごとに主の家で仕える者たちよ。 聖所に向かってあなたがたの手を上げ、主をほめたたえよ。 天地を造られた主がシオンからあなたを祝福されるように。(詩篇13413節)」

 横暴な振る舞いも、ゆすりもしませんでした。ただ神礼拝のためにです。キリストの教会が、『さあ、主をほめよ!』と喜びの讃美を歌うのと同じです。この両者の旅の様子の違いは、何だったのでしょうか。

(“キリスト教クリップアート”による賛美です)
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