『だいじょうぶだよ、ゾウさん』

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おさないネズミと年老いたゾウが

おおきな木のしたで、なかよくくらしていました。

ネズミは、根っこのすきまで

ゾウは、木によりかかってねむりました。

ねずみは、いろいろできる子でした。

ゾウがよくメガネをなくすので、

メガネにひもをつけて

首にかけられるようにしてあげました。

ゾウは目が、よわくなってきたので、

メガネをなくさなくなって、たすかりました。

ゾウは、まだおさないネズミをまもってあげました。

ちいさな足ではいけないところにも、つれていってあげました。

山へ・・・ それから・・・おおきなみずうみへも・・・

ゾウは、ねずみといっしょだと、こころがあかるくはずむのです。

長い人生でいろんな人とのであいやできごとがありました。

目をつむると、なつかしい友だちーー

    バムバムやゴーンホーンのことが、うかんできます。

みんなとっくになくなって、とおいゾウの国にいってしまったのでした。

いよいよ、こんどは自分のばんかなあ?

ある日の夕方、水あびからかえるとき、

ゾウは、いつもとちがう道にはいりました。

「ゾウさん、どこへいくの?」

ネズミがききました。

「まあ、みていてごらん」

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木々がおいしげった森にはいると、ふるい道がありました。

その道は、ながいあいだにたくさんのゾウによって

ふみかためられていました。

「まえに話してあげたゾウの国のことをおぼえているかい?

ゾウはみんな、年をとったり、病気がおもくなったりすると、

その国にいかなければならないんだ」

「おぼえているよ」ねずみはいいました。

「ほら、あそこだ」ゾウはいいました。

森の道はそこでなくなっていて、

すぐ目のまえは、ふかい谷になっていました。

谷のむこうには、みわたすかぎり

森がひろがっていました。

「あの森が、なくなったぼくのおかあさんとおとうさんがいるところなんだ」

ゾウは話しつづけました。

「にいさんたちやねえさんたちや友だちもね。もうすぐぼくもいくんだよ。

そんなかなしそうなかおをしないで。

むこうでは、みんなしあわせなんだから」

ゾウがいなくなるなんて、ネズミはかんがえたくもありませんでした。

そのとき、ゾウはおどろきの声をあげました。

つりばしをみつめるゾウの目は、不安でいっぱいでした。

「どうしたの、ゾウさん?」

ネズミはおどろいてききました。

でも、からだがおもいし、ぶきようなので、とてもなおせません。

しかし、ネズミはどうすればなおせるか、頭をはたらかせました。

「ぼくが、なおすよ」

ネズミはいいました。

「でも、つりばしをわたっても、

もどってくるってやくそくしてね」

ゾウは、首をよこにふりました。

「それはできないんだ。ゾウは、いちどつりばしをわたったら、

けっしてもどらないんだ」

「それなら、いっちゃいやだ」

ネズミはいいました。

ゾウは、うなずきました。

そして、だまってむきをかええうと

さっきあるいてきた森の道をひきかえしました。

まえとおなじようなくらしがつづきました。

ふたりともなにもなかったかのようにすごしました。

ほんとうは、ねずみはまいにち

あのつりばしのことをおもっては、

こわくなってふるえるのでした。

きせつがなんどもめぐってきては、すぎていきました。

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ネズミも成長し、もうおさなくはありませんでした。

さんぽの案内をするのも、夕食のくだもにをとってくるのも。

ネズミの役でした。

ゾウは、もうメガネをかけても、ほとんどみえなくなっていました。

ものごとをわすれるようになりはじめました。

・・・耳もとおくなってきました。

ネズミは、おおきな声で話さなければなりませんでした。

そうなっても、ふたりはいつもわらったり、

たのしいときをすごしたりしていました。

ぞうは、おおわらいをしては、せきこんでしまうのでした。

ある日、わらいもしないのに、

せきがではじめました。

ネズミは、からだがひえないように、

もうふをつくってあげました。

それでもゾウは、つらそうに木によりかかったまま

せきがとまりませんでした。

そのうちにゾウは、ネズミがはこんできたくだものを

食べようともしなくなりました。

だいすきなバナナでさえも・・・。

ぞうのいのちがあぶなくなっていることに

ネズミが気づいたのは、そのときでした。

年をとって病気がおもくなり、

木のしたでネズミとくらすのが、もう、むりになったのです。

あの山のなかの森へいかなければなりません。

ネズミは、いまやこころも成長し、

まえのようにこわがらなくなっていました。

もちろん、なかよしだった友だちがいってしまうのはかなしいことでした。

でも、ゾウがむこうの国にいけば、しあわせになるのだと、

おもえるようになっていました。

そこで、つりばしのところにいって、なおしはじめました。

いそいで、しかも注意ぶかく。

つりばしは、がんじょうになりました。

もう、ゾウがわたってもだいじょうぶです。

ゾウは、木によりかかって

ネズミのかえりをまっていました。

ネズミはいつものように、ゾウのまえあしをよじのぼり、

おおきな耳にそっとつたえました。

それをきくと、ゾウは、おどろくこともなく目をかがやかせて

ウインクしたのです。

「きみが、きっと手だすけをくれるとおもっていたよ。」

ゾウは、こころをきめると、

せまいつりばしをわたりはじめました。

ネズミはおおきな声でいいました。

「こわがらないで。もうがんじょうになっているから!」

ゾウは、ふりむいてこたえました。

「こわくなんかないよ。だいじょうぶ、安心してわたれるさ!」

「そう、きっとすべてうまくいくよ・・・」

ネズミはそっとつぶやいて、やさしくえみをうかべました。

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 この絵本は、ローレンス・フルギニオン(1963年ベルギー生まれ)の作、ヴァレリー・ダール(1969年ブリュッセル生まれ)の絵、柳田邦男(1936年栃木市生まれ)の翻訳で、2005年11月に、文溪堂で出版されたものです。「老いること」、「死ぬこと」を取り上げ、老いていく人、死んでいく人に、どのように接していくかを問いかけているのでしょうか。

 アフリカの大きな滝の滝壺の奥に洞窟があって、そこが「象の墓場」だと言うことを聞いたことがありました。死の準備をし、死骸を見せない美学があるのを知って驚きました。猫も、どこかに潜って死を迎えると聞いていましたら、二十歳の時に、父から請け負って、高速道路の用地かあった父母やきょうだいたちと住んだ家を壊す仕事をしたのです。コンクリートの三和土(たたき)をはがしたら、猫の死骸を見つけたのです。その亡骸は、綺麗だった記憶があります。

やがて、間もなくと言った方がいいでしょうか、死を迎えるために、身辺整理をしないといけないなあと、最近思っています。けっこう簡素を旨に生きてきたつもりですが、要らない物、天国に持っていけない物の整理を、涼しくなっらしたいと思っている今です。

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