もう一つの外来

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 食糧事情の悪かった戦後、肺結核にかかった義母は、東京都下の清瀬にあった専門病院に通院していました。近くに東京女子大学があって、そこで学ぶ学生もいたそうです。義母の病友たちにだったのです。今のようにドアーがあって、医師と患者だけの診察室などなかった時代ですから、医者の言うことばが、待合室で聞こえたわけです。

 レントゲン画像を見ながら、その医師が、『君の命は、もうニ、三日だね!』と言う言葉が聞こえてきたそうです。その晩、その女子大生は、医者の宣告通り亡くなってしまったのです。それを知った義母は、患者の心の思いへの配慮のない、その医者の不用意なことばを責めたのです。敗戦後の日本では、医療従事者も頽廃的になっていたのでしょうか。

 権威ある立場にある人の語る「ことばの重さ」を考えていた時に、家内の一番上の姉が、駅前で、小冊子をもらって帰って来たのです。「約翰傳(新約聖書のヨハネの福音書)」の分冊でした。それを手に取って義母は読み始めたのです。

 『1:1太初に言あり、言は神と偕にあり、言は神なりき。 1:2この言は太初に神とともに在り、 1:3萬の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。 1:4之に生命あり、この生命は人の光なりき。 1:5光は暗黒に照る、而して暗黒は之を悟らざりき。 1:6神より遣されたる人いでたり、その名をヨハネといふ。 1:7この人は證のために來れり、光に就きて證をなし、また凡ての人の彼によりて信ぜん爲なり。 1:8彼は光にあらず、光に就きて證せん爲に來れるなり。』と、最初のページにありました。

 「言」に強烈に捉えられた義母は、それを配っていたアメリカ人宣教師を訪ねて、質問に質問を継いで、「言(ギリシャ語でロゴス、アラム語でメモラ)」である、イエスを知り、このお方が、「キリスト(救い主)」であると信じ、101歳で帰天するまで、その信仰を全うしたのです。

 その肺結核も、「癒し主」であるイエスさまによって癒やされたのです。聖書に、「我はエホバ、汝を癒す者なれ(出エジプト1526節)」とあるみことばを信じてでした。医学の助けがあったことも忘れてはなりません。

 きっと、誰もが求めるのは、《優しい気配りのあることば》で交流できる場なのでしょう。「まちなかメディカルカフェin 宇都宮」と言う定例の集いが、宇都宮で行われています。信仰の友が、家内に紹介してくださって、二度ほど参加したのです。全国で80ヶ所ほどで持たれてるそうです。ところが新型コロナの感染拡大で、やむなく開催を中止したりで、参加が続きませんでした。その後、hybrid での開催になったり毎月継続開催されてきています。

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この日曜日に、hybrid で、「がん哲学外来市民学会 栃木大会」が、宇都宮で開かれました。この学会に急遽入会した家内は、6時間の大会に参加したのです。その四人の講師のみなさんの講演などをお聞きしていました。病む人、病と闘っている人が、白亜、白衣の病院の環境の外に出て、青い空、木々の緑、花々の多彩の世界で、主治医から一時離れて、患者思いの医師と、さまざまな医療の分野に関わっておいでのみなさんや家族との交流の場なのです。まさに「もう一つの外来」なのかも知れません。

 順天堂大学医学部の病理・腫瘍学科教授の樋野興夫医師が始められれている、院外の個人的な患者との交流の場を、「がん哲学外来」と呼んでいます。社団法人となって、2009年に始められているそうです。患者さんや家族の話を聞いて、その面談は無料でなされています。この「学会」には、五箇条のmotto があり、だれでも入会できるとのことです。

1.世の流行り廃りに一喜一憂せず、あくせくしない態度。

2.軽やかに、そしてものを楽しむ。

3.学には限りないことをよく知っていて、新しいことにも自分の知らないことにも謙虚で、常に前に向かって努力する。

4.段階ごとに辛抱強く、丁寧に仕上げていく。最後に立派に完成する。

5.自分のオリジナルで流行を作れ。

 この樋野医師は、新渡戸稲造、矢内原忠雄、南原繁と言った、内村鑑三の教えや生き方に感銘を受けた方で、「われ21世紀の新渡戸とならん」と言った著書を書くほどの人で、多くの著書を著しておいでです。

 私の恩師たちは、がんの病で主のみ元に帰りました。彼らは、地上の生涯を走り抜き、主の安息の中にいらっしゃることでしょう。聖書は、「第二の死」を語ります。そのもう一つの死にそこなわれることのない、「永遠のいのち」の約束を、みなさんは握っておいででした。自分の生を肯定して生き抜いた、彼らから多くを教えられて、今があります。彼らの人生の基調にあったのも、また、この「がん哲学外来」を動かしているのも、人の心にある「愛」に違いなさそうです。

(“ キリスト教クリップアート” の「人を癒す主イエス」です)

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