朽ちない栄冠を

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 長男の子は、中学校で野球に熱中していました。今、次女の子、私たちの外孫も野球のシーズンで、頑張っている様子を映した動画が送られてくるのです。アメリカには、日本の甲子園の様な、全米高校選手権大会はないのです。彼は、ホームスクールで学びながらの球児で、地元の学校のチームに誘われて活躍しているのです。日本とは違っていて、season sports で、一年中野球だけをしていないで、他のサッカーやバスケットなどもしています。

 何か楽しくやっている様な感じがしています。将来を考え始めているのでしょうか、野球選手になるのか、自分の好きなことを学んで、それに見合った仕事を見出すのか、そんな時期に差し掛かっているのでしょう。スポーツにしろ、職業にしろ、受け継いでいる信仰にしろ、大切なのは、自己管理なのでしょう。

 パウロは、ギリシャで行われていた古代オリンピックを知ってたのでしょう。信仰生活を、拳闘や陸上競技のスポーツ競技になぞらえて、次のように言っています。

 『競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。 また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。 ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。 私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。(1コリント人92427節)』

 信仰の goal を目指して、走り抜いて、goal in するために、途中で失格者にならないために自制して生きるように、自分の体も心も打ちたたいて従わせていると言うのです。要は、自己との闘いだと言っているのです。「永遠のいのち」を得るために、ボクサーが体重管理をして試合に備える様に、信仰者も自己抑制、自己管理が必要だと勧めています。驕らずたかぶらずに、謙虚に生きることです。

 佐賀県の代表校になって、2007年度の甲子園の大会で優勝した学校がありました。県立の佐賀北高校です。多くの私立校が、日本全国から有望な選手を集めて、強力なチーム編成をしている中、地元出身選手で構成されたチームで、監督をしていたのが、同校の国語教師で、野球部監督をされていた百崎敏克さんです。今年退任される、この百崎氏が、次の様な退任のコメントをされています。

 『甲子園はあくまで目標であって、目的じゃない。それだけが目的なら、日々やっていることが意味をなさない。目的は野球を通じていろんなことを学び、人間的に成長すること。』とです。流石、国語教師でしょうか、スポーツ本来の価値を熟知しているからでしょう、野球もさまざまにある「目標」の一つだと言っておいでです。

 人間的な成長や、人としての感性にためにある一つのことなのでしょう。野球しか、柔道しか、サッカーしかできない人になってほしくないのです。人生の勝利者には、神によって戴冠させていただける栄冠が待っています。『よくやった!』と言われて、goal in したいものです。本物の「目的」に向かって、生きていって欲しいと願うジイジです。
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