エデンの東

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 『それで、カインは、主の前から去って、エデンの東、ノデの地に住みついた。(創世記416節)』

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 ある一人の農場主が、カルフォルニア州サリナスの農場で、手広く農業を経営していました。東部から移って来た彼には、男の子が二人あるのですが、出来の好い兄を溺愛し、ひねくれ者の弟・キャルを疎んじている、そんな父子家庭が舞台でした。お母さんは、すでに亡くなっていると聞かされて育ちます。ところが弟は、どこかで生きているということを漏れ聞いて、探すのです。

 自分の街に駅から無賃乗車をして、港町に降り立ちます。場末の飲み屋を経営している女性を見つけ出して、尾行を続けます。その人を問いただすのですが、相手にしてもらえません。確証を得られないまま、仕方なく家に帰るのです。お父さんにも問うのですが、相手にされません。ところが、お父さんの友人の街の保安官が、キャルに、両親の結婚写真を見せてしまいます。それを見たキャルは、訪ねた女性が、自分の母親だと確信するのです。

 その頃、お父さんは、収穫したレタスを、氷で冷蔵して、東部の市場に貨車を借り切って送ろうとするのですが、雪崩が起きて、貨車が途中で停車し、レタスが腐ってしまいます。大損をするのです。弟は、父を助けようとします。ヨーロッパ情勢は戦争が起こる兆候があるとの情報を得て、高騰するであろう「大豆」を栽培すれば、儲けられるという話をキャルは聞きます。その資金の調達を、再び港町に行って、自分の母であることを認めさせて、お母さんから借りるのです。そして大豆栽培を開始します。

 間もなく第一次世界大戦が勃発し、栽培し収穫した大豆を売ると、お父さんの損失を、穴埋めできるほどの大金を得るのです。しかし、戦争を利用して多額の金を手にしたキャルを、お父さんは厳しく叱ってしまいます。差し出したお金を、お父さんは受け取らなかったのです。父を憎く思ったキャルは、兄にも憎しみを向け、港町の母親のもとに兄を、強引に連れて行きます。

 死んだと聞かされていたお母さんが生きていて、しかも自分の思い描いていた理想の母親像と違ったお母さんと会って、兄は半狂乱の様になって、大きな衝撃を受けてしまうのです。そして嫌っていた戦争に、自ら志願して欧州の戦場に征ってしまいます。そのショックで、お父さんは脳溢血で倒れてしまうのです。

 父の愛を知らずに育ったキャルは、兄のガールフレンドが、『キャルを愛してあげて!そうでないと彼は一生ダメになってしまうから!』と、お父さんに執り成しをするのです。お父さんは、それに応え、キャルを受け入れ、自分の世話をキャルに任せるのです。辛い経験をしながら、キャルは、父の愛を、遂に獲得するのです。

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 これは、聖書の「カインとアベルの物語」を題材にした映画でした。ジョン・スタインベックの原作、エリヤ・カザン監督制作の映画、「エデンの東」です。キャルのお兄さんが、哀れでした。出来の好い息子なのに、母や弟をありのままで愛せなかったからです。また自分と違っている弟を認められなかったのです。欧州の戦線に、列車に乗って出征する時、窓ガラスに頭をぶつけて割ってしまい、傷を負って血を流す様子は、まるで「死」を予兆するかの様で、画面に釘付けにされて、まだ中学生の私にはショックでした。

 壊れた家庭の悲劇をスクリーンに、中学生の私は観て、上映のたびに映画館に飛んで行きました。繁栄の国、アメリカにも、いえ繁栄なるが故に、こんな家庭があること知ったのです。あの映画を観て、事情のある家庭で育った父と母を、やがて理解できる年齢になっていきました。

 それなのに、精一杯、私たちを両親は育ててくれたのです。養育放棄をしませんでした。義務教育だけで終わっていても当然なのに、大学にまで学かせてくれました。『後は自分で生きていけ!』、これが父でした。今や、兄弟四人、子育てや仕事といった社会的な責任を果たし終え、静かな余生を送っています。もう少し、私にはすべきことがありそうです。父と母への感謝は尽きません。

 時は秋、コロナの感染者は急激に減ってきて、陸奥(みちのく)の鄙(ひな)びた温泉に行きたくなりました、父と母がいたら、背負って連れて行きたい思いでいっぱいです。一緒に湯船に浸かって、子どもの頃や青年期の話を詳しく聞けたらな、そんな思いがしてきます。そう背中だって流してあげたいのです。悲劇のエデンの東の地、神に背いた者たちに、神の憐れみが働いて、人は救われることができるのです。

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