登山

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 先週の土曜日は、散歩で登山してきました。市内が標高40m、その錦着山は80mですから〈40m登山〉でした。山の西側には、永野川が流れていて、この地の歴史は、川の氾濫が繰り返されたようです。

 その防護堤の工事に、尽力した市長さんの顕彰碑と胸像が、この山の頂きにありました。この街(村)でも、梅雨や台風の時期の川の増水で、洪水になったり氾濫があって、農業に痛手を被っていたのでしょう。一昨年秋の19号台風の洪水で、罹災した経験から、川の容量を超えるほどの雨とは、どんなに護岸工事が近代化した技術で作られても、耐えられないのでしょう。

 今年から、五カ年計画ででしょうか、一昨年、決壊した散歩道の脇を流れる永野川の護岸工事が行われています。江戸時代、どこの藩でも、護岸工事は一大 project だったようです。好い為政者は、そのために尽力したそうです。自然は、近代社会にも容赦なく〈シッペ返し〉をしてくるようです。

 自然を破壊してきた人間が、刈り取っていることなのでしょう。もう何年も《共生》が言われてきていますが、乱開発、自然の秩序の破壊、もう壊れ切ってしまったのでしょう。江戸時代にたびたび発生した飢饉ですが、近年、私たちの国では起きていません。異常気象が続いているのに、最近では米の凶作などの話を聞きません。

 米に頼らない食習慣に変わったからでしょうか。それとも私たちの国では、輸入に頼り切っているので、食糧不足に悩まないのかも知れません。でも、学んだ日本史を思い出すと、江戸時代の凶作、飢饉、米騒動など、生まれてこの方、中国や北朝鮮、アフリカなどから聞くだけで、とんと聞きません。

 輸入先の生産国も、冷害や大雨によって田畑が流されて、穀物や野菜や果物の生産が不足することもあり得ます。山の上から自分の街を見下ろして、やはり農業が盛んにすること、後継者を育てることが必要なのでしょう。お金になる近郊農業、園芸だけではなく、基幹作物の生産を上げていく必要を感じています。

 でも、今後、こんなに自然が狂い始めてきていますから、天候不順、日照不足で、農作物が実らない年がありそうです。大雨も、暴風も、竜巻も、いまや人の所業の結果です。世界中で、森林面積が激減し、砂漠化は由々しき問題なのですが、専門家は警告していても、物で満ち足りた、この時代の私たちは関心さえ示さないのが、問題なのかも知れません。
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