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もう何年も前になりますが、華南の街でのことでした。夜7時過ぎに、我が家を訪ねてこられた四人の方と、一緒に外出して、道を歩いていましたら、行く先の空の上に、月が実に綺麗でした。まさに「秋月」、異国で観る月は、煌々としていました。中秋節だったのです。
やはり、月の光は幻想的で、古代の人々にとっても、現代人の私たちにとっても、趣ががあります。中国のみなさんは、夜空に輝く月を、亮としている様を加えて、「月亮yueliang」と言います。中国の古代人も、ギリシャの古代人も、星や月を見ながら、想像を膨らませたのです。とくに中国の天津の外国人用「公寓gongyu/アパート」に住み始めて、そこで観上げた月は、驚くほどに大きかったのです。
子どもの頃に、河原の砂や、砂場の砂しか知らない私は、この砂が延々と続く「砂漠」を想像しただけで、目が眩みそうになった覚えがあります。その砂漠に、月が朧げに出ている光景です。作詞が加藤まさを、作曲が佐々木すぐるの「月の砂漠」です。
月のさばくを
はるばると
旅のらくだが
ゆきました
金と銀との
くらおいて
ふたつならんで
ゆきました
金のくらには 銀のかめ
銀のくらには 金のかめ
ふたつのかめは それぞれに
ひもでむすんで ありました
先のくらには 王子さま
あとのくらには お姫さま
乗った二人は おそろいの
白い上衣を 着てました
広い砂漠を ひとすじに
二人はどこへ ゆくのでしょう
おぼろにけぶる 月の夜を
対のらくだは とぼとぼと
砂丘をこえて ゆきました
だまってこえて ゆきました
「中秋の名月」は、すでに過ぎてしまっていますが、「名月」の2日後が、「満月」になるそうです。中国のみなさんにとっては、「月餅yuebing」を送り合う習慣のある日なのです。友人のパン店経営者が、毎年、中秋節前になると、『幾箱欲しいか?』と聞いてきたのです。月餅を贈り合う習慣があるからです。
遠慮すると、必ず三、四箱を届けてくれたのです。美しい缶入りの、実に美味しい月餅の詰め合わせなのです。家内が、それをもって二軒ほどに配り歩いたでしょうか、それでも、パン屋さん以外にもいただくので、月餅だらけに家がなってしまう時期だったのです。
家内の病気で急に帰国してしまってからは、その月餅をいただかなくなってしまったのですが、今年は、華南の街の「日本人奥様会」のメンバーで、息子さんの日本の大学入学で、東京の品川にお住まいの友人と、下の息子から、その「月餅」が届いたのです。
餡の中に、卵で月に模した黄身が入っているのです。それを見て、華南の街でいただいた月餅と、童謡の「月の砂漠」を思い出してしまったのです。朧に見えたり、泣いているように観てしまうよりも、煌々と輝く月がいいですね。帰国以来、月がよく見える北関東に住むからでしょうか、月が気にかかるのです。それだけ、心静かな時を過ごしていることになるのでしょうか。
(「家のイラスト」の砂漠を行く二人です)
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