岩手県

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 今日は、岩手県について記そうと思いますが、先ずを。長野県の南信、南アルプスの山際に、大鹿村があります。長野県では二番目に山奥に位置する村だそうで、人口907人(202191日現在)で、林業の村です。この村は、「榑木(くれき)」という屋根材になる木材を産出してきて、江戸期には〈年貢〉として納めていたそうです。村は財政的に豊かだったので、文化的な活動の「村歌舞伎」が行えるほどだったそうです。映画化もされていました。

 次女の夫が、飯田市付近の県立高校の英語教師をしていた時、誘われて「大鹿歌舞伎」を観劇したことがありました。この大鹿歌舞伎は、1767(明和4)年にはすでに上演されていたそうで、私たちが見たのは、歌舞伎の定番、「藤原伝授手習鏡〜寺小屋の段〜」の演目でした。

 主君のために、家臣の子が犠牲になって死んでいくと言う、じつに悲しい内容でした。でも、〈田舎芝居侮るなかれ〉、素晴らしかったのです。村人に真似て〈投げ銭〉をして、歌舞伎観劇気分にひたり、景気付けをしたのです。観終わって、『武士とは難儀な身分だ!』と強烈に思わされたのでした。

 日本人の精神的な支柱こそが、「武士道」だと、新渡戸稲造が、本を著しました。1890年に、アメリカのフィラデルフィアの出版社から英文で出版されました。『愛、雅量、他者への情愛、同情、憐れみは、常に至高の特として、すなわち人間の魂の性質中、最高のものとみられてきた・・・』と、武士道の本質がどこにあるか、心の中にあることを示したのです。この人は、盛岡南部藩の武士の家に生まれています。札幌農学校に学び、東京帝国大学に進学し、アメリカのジョンズ・ポプキン大学を卒えています。

 札幌時代に基督信仰を持ち、人が変わって穏やかな人にされたそうです。生涯、信仰を堅持しました。国際連盟の事務局次長を務め、第一高等学校、東京女子大学、東京文化経済専門学校の学長を務めました。彼のような真の国際人を、岩手県は産んだのです。

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 岩手は「ニッポンのチベット」と言われていました。山が多くて、貧しい県だったからです。でも素晴らしい人材を、日本や世界に輩出してきた県なのです。今日日、大活躍をしている大リーグの大谷翔平が、県下の花巻市から出ています。その play が、孫のように気になり、一喜一憂してしまった一年でした。

 「雨にも負けず」の宮沢賢治を、岩手は産んでいます。彼の生涯で出会った一人に、花巻の人、斎藤宗次郎がいます。この二人の間には、友情関係あって、賢治の勤め先の農学校を訪ね、一緒に蓄音器でレコードの音楽を聞いたり談笑していたそうです。禅宗の仏門に生まれた人でしたが、聖書を読み始め、内村鑑三の著した「キリスト信徒の慰め」を読んで、痛く感動し、内村の言う《非戦論》に共鳴して、納税拒否や兵役拒否をして、官憲から mark されていました。

  岩手師範を出て、小学校の教師をしていましたが、彼の主義主張のゆえに失職してしまいます。それで、新聞配達をしながら生きていくのです。教え子や近隣の人々に支持され、慕われたそうです。やがて内村鑑三のもとに行き、弟子として仕え、内村の最後を看取った弟子でした。しっかりとした子育てをした方と言われています。彼の基督信仰はハガネのように強固でした。

 政界、実業界、教育界、官界、有名無名の素晴らしい人材を、岩手県は産んでいます。小学校の事業で、リアス式海岸を学んだのですが、ノコギリのようなギザヒザな岩手県の海岸線に行って見たかったのですが、いまだに、その願いは叶えられずにいます。寡黙で辛抱強い県民性が言われていますが、地勢や気候によって、人間は強く影響を受けるのでしょう。消極的だと言われますが、行動派の人も多くいるようです。東北人、好きです。

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