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私たちの住む街の駅から、東武日光線、東武鬼怒川線、野岩鉄道(新藤原⇄会津高原尾瀬口)、会津鉄道会津鬼怒川線(会津高原尾瀬口⇄西若松)、JR只見線(西若松⇄会津若松)と乗り継いで、福島県の会津若松市、かつては「陸奥国(むつのくに)会津」と呼ばれていましたが、そこに、線路で繋がっています。日帰りは無理ですので、家内が、もう少し元気になったら出かけてみたいと思っているのです。
と言うのは、この会津は、「白虎隊(びゃっこたい)」で有名なのです。尊王攘夷、開国など幕末に、長州軍を幕府軍の会津藩が迎え撃ったのですが、会津は、敗北を喫してしまいます。特に、この戦いに加わった「白虎隊」の19人の少年剣士(16、7歳)が、飯盛山で自刃して果てていったのです。その1868年の出来事が、詩吟として吟じられ、昭和12年(1937年)に、作詞が島田磬也、作曲が古賀政男で歌謡曲になったのです。
1 戦雲暗く 陽は落ちて
弧城に月の影悲し
誰が吹く笛か 識らねども
今宵名残の 白虎隊
2 紅顔可憐の 少年が
死をもて守る この保塞
滝沢村の 血の雨に
濡らす白刃も 白虎隊
詩吟
南鶴ヶ城を望めば砲煙あがる
痛哭涙を飲んで且彷徨す
宗社亡びぬ 我が事おわる
十有九士腹を屠って斃る
3 飯盛山の 山頂に
秋吹く風は 寒けれど
忠烈今も 香に残す
花も会津の 白虎隊
花も会津の 白虎隊
この会津藩には、日新館という藩黌があり、いくつもの「什(じゅう)」と呼ばれた、十人ほどの子どもたち(六から九歳)が、それぞれに学んでいたそうです。そこには、「什の掟」がありました。
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一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです。
この会津を、仕事で訪ねた次男が、タクシーを利用した時に、運転手の方が、長州(山口県)の人間は乗車を拒否するほど、明治維新前夜の「戊辰戦争(ぼしんせんそう)」での会津への長州軍の仕打ちへの恨みを、今に至るまで持ち続けているのだと話したそうです。
同志社を起こした新島襄が、『彼女は見た目は決して美しくはありません。ただ、生き方がハンサムなのです。私にはそれで十分です。』と言った八重は、会津武士の娘で、戊辰戦争では、男装して大砲の打ち手として、戊辰戦争に従軍しています。
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福島県人には、忘れられない出来事のようです。現在、181万人余りの人口を擁し、農業県なのです。忘れられないのは、2011年3月11日の東日本大震災の折に、津波に襲われた、福島第一原子力発電所の倒壊事故が勃発し、その被害の甚大さに、日本は驚いたわけです。村長さんの悲痛の声が忘れられません。いまだに汚染水問題、汚染残土の処理など多くの課題を持ち続けています。
子どもたちと一緒に、茨城の海に出かけた時に、奥州三関の一つ「勿来の関(なこそのせき/いわき市)」を訪ねたことがありました。芭蕉も訪ねていて、古代に設けられた関所跡でした。行ったことはないのですが、街の名のついたラーメン、「喜多方ラーメン」が、私たちの住んでいた街にも出店して、子どもたちを誘って何度も食べたことがありました。
どんな災害にあっても、強く生き続けている福島を応援します。「がんばっぺ福島」を合言葉に、苦難に立ち向かっておいでです。男性はコツコツと働き、女性は控えめなのだそうです。
(奥会津、什の掟、自然の景観です)
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